兵庫県内の「森」の名字の詳細
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■ 県内27位: 森(もり)

# 地形姓

# 兵庫県内では、まんべんなく分布し、特に姫路市の家島諸島と淡路島北部にまとまってみられる。

# 兵庫県の森家: 播磨国赤穂藩主織田信長の側近の森蘭丸の弟の忠政の末裔。森忠政は信濃国川中島12万石を領し、江戸時代には美作国津山18万6500石。その後改易されたが備中国西江原2万石で再興し後に赤穂に転じた。【家紋:鶴の丸紋明治維新後には子爵

・ 赤穂藩主。相模国愛甲郡毛利荘(神奈川県厚木市)発祥で清和源氏の出。源義家の六男(七男とも)義隆が森冠者を称したのが祖。可成は1564年に織田信長に従って美濃金山城(岐阜県可児市)城主となり、長男の長可(長一)・三男の蘭丸(成利)も共に信長の家臣になった。長可は小牧・長久手の合戦で戦死、弟の忠政は信濃川中島12万石を領し、1600年には関ヶ原の合戦では徳川家康に従って、戦後美作津山18万6500石に入封。1697年に衆利が将軍拝謁の道中の伊勢桑名で発狂し改易された。その後、隠居していた長継が改めて備中国西江原で2万石で再興を許され、1706年に長直が播磨赤穂2万石に転じた。明治時代には子爵。【出典

# 兵庫県の森家: 播磨国三日月藩主美作国津山藩主の森長継の四男の長俊が延宝4年(1676年)に美作国勝田郡の1万5千石を分知され立藩。後に播磨国佐用郡三日月に転じた。

・ 三日月藩(兵庫県佐用町)藩主。津山藩主の森長継の四男の長俊は、1676年に美作国勝田郡の新墾地1万5000石を分知され、1697年に播磨国佐用郡三日月に移って三日月藩を立藩した。明治時代には子爵。【出典】 

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