岐阜県内の「森」の名字の詳細 | |
【参考資料・文献】 | 【利用上の注意】 |
名字の由来のTop | 地名の由来のTop |
名字と地名のMenu | 岐阜県の名字の特徴 |
スポンサーリンク |
スポンサーリンク |
■ 森(もり)
# 歴史的には織田信長の家臣の森可成(よしなり)がおり、三男は信長の小姓で有名な「森蘭丸」。美濃国葉栗郡の森可成は、土岐氏や斎藤氏に仕えた後、1554年に信長に仕えた。その後美濃金山城主を務めたが、浅井・朝倉攻めからの退路の近江国大津の宇佐山城で戦死した。長可(ながよし)が跡を嗣いだが小牧・長久手の合戦で戦死。六男の忠政が信濃国川中島13万石、そして1603年には美作国津山18万6千石。しかし、跡継ぎに恵まれず1697年に森家は断絶する。
# 岐阜県の森家: 美濃国の国人で相模国愛甲郡毛利荘(神奈川県厚木市)をルーツとし、清和源氏の出。源義家の六男の義隆が森冠者を称したのが祖。その後、各地に広がった。このうちの一族が美濃国に住んで守護の土岐氏に仕えた。土岐氏が滅んだのちには斎藤道三に仕え、その後織田信長に従って森蘭丸などがでた。森長可の弟の忠政は信濃川中島12万石を領し、関ヶ原の戦いでは徳川家康に従って、美作津山18万6500石。後に播磨国の赤穂藩主となる。【出典】
都道府県毎の名字の特徴 | 名字の様々な区分 |
難読名字 | 難読地名・珍地名 |
地名と災害 | 名字の博物館 |
名字と地名・都道府県編 | 民俗学の広場内の検索 |
■ このサイトで使用している「名字の順位」「全国の概算数」「都道府県毎の順位」などについてはこちらを御覧下さい。【詳細】