沼田藩 | |
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■ 沼田藩(群馬県沼田市)
・ 「沼田」の地名
・ 1742年に老中の土岐頼稔が入封。美濃国の守護の土岐氏の一族。
・ 徳川家康の家臣に明智一族の菅沼定政という人物がいた。忠政は徳川家康から1593年に土岐氏を名乗るように言われ、江戸時代には沼田藩主。【ここまでわかった! 明智光秀の謎 歴史読本 新人物文庫】
・ 沼田藩主の真田信利(信之の孫)は、表高3万石だが検地によって14万石という驚異的な数字をたたきだしたが、そのぶん年貢もおもく。領民の直訴で、治政不良で改易となり、山形藩の奥平家におあづけとなった。【小さな城下町 安西水丸 文藝春秋社】
# 沼田藩(ぬまたはん): 上野国。沼田城。土岐家。譜代大名。3万5000石。明暦4年に立藩。控間:帝鑑間。格:城主。位階:従四位下。上屋敷:港区虎ノ門。もとは、信濃国の松代藩主の真田家の藩領だったが、明暦4年(1658年)に独立を果たした。真田家の改易後には、本多家、黒田家を経て、土岐家が十二代にわたり廃藩置県になった。【出典】
# 沼田藩士: 井上家 ・ 今泉家 ・ 伊能家 ・ 加藤家 ・ 月岡家 ・ 長沼家 ・ 吉沢家
【注意】転封などがあるため、藩主や石高には変化があります。ここでは一例を掲載しています。