松代藩
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■ 松代藩(まつしろはん): 長野県長野市松代町

・ 「松代」の地名

・ 真田家10万石・外様

・ 真田信濃守

・ 真田家は1622年に上田から転封。八代藩主の幸貫(ゆきつら)は松平定信の子で、水野忠邦時代に老中を務めた。

・ 真田信之って、92歳まで生きたのか?!誠実に家を守り続けて大往生したドケチ大名だと。でも、家を守るにはそのくらい言われないとな。

・ 真田家の嫡男の信之(信幸)と弟の信繁(真田幸村)は柿の木に登って赤い実をとっていた。兄曰く、「あまり枝の先の方に行くな。柿の木はあっという間に折れるそうだぞ」。それに対して弟は、「実さえ採れるのなら、落ちようがどうしようが。枝先の方が熟している」と言った。それを見て父親の真田昌幸が「無理は禁物じゃ。柿の木はこの木一本だけでなく、あっちこっちにもまだある」といった。これはよくある逸話のたぐいだが、三人の生き様を表しているという。

・ 松代藩は早い段階から官軍派だったが、明治維新後には冷遇された。多額の戦費のために財政が窮乏した松代藩は、「松代商法社」という藩営企業を設立した。が、しかし。【江戸300藩の意外な「その後」 日本博学倶楽部 PHP研究所】

・ 恩田木工

# 信濃国。松代城。真田家。外様大名。10万石。慶長3年に立藩。控間:帝鑑間格:城主位階:従四位下。上屋敷:千代田区霞が関上杉景勝の会津転封によって田丸直昌が入封した。関ヶ原の合戦の後には、森家越前松平家酒井家などが入封し、元和8年(1622年)に真田信之が入封してからは、真田家10代が続いた。【出典

# 善光寺地震による被害

# 松代藩士: 赤塩家 ・ 石倉家 ・ 大熊家 ・ 大日方家 ・ 恩田家 ・ 鎌原家 ・ 佐久間家 ・ 塩野家 ・ 高野家 ・ 富岡家 ・ 矢沢家


【注意】転封などがあるため、藩主や石高には変化があります。ここでは一例を掲載しています。

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