「楠木」の名字の由来
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■ 楠(くすのき) 

【2023/05/22:改編】

# 伊勢の楠氏は三重郡楠(三重県三重郡楠町)をルーツとする。南北朝時代に信濃国から諏訪氏の一族が来国して楠城を築いて、楠氏を称して北畠氏に属した。八代正盛のときに豊臣秀吉に滅ぼされた。現在は、東北地方を除いて広く見られるが、とくに瀬戸内海沿岸に多く見られる。【出典

# 伊勢国三重郡の国衆応安2年(1369年)に、諏訪十郎貞信が伊勢国三重郡に転じて北畠氏に仕え、楠城(三重県四日市市楠町)を築いて拠ったというが、楠木正成の子の諏訪十郎正信が祖という説もある。南北朝時代には南朝に属し、室町時代には北畠氏のもとで河俣氏を称していたという。応仁の乱の後には、正充が楠城主に復帰して楠氏を称し、子の正忠は神戸氏に属した。永禄10年(1567年)の織田信長の伊勢侵攻では正具が抵抗したのち、落城して本願寺に逃れた。その後、女婿の正盛が楠氏を継いで、織田信長に仕えた。天正12年(1584年)に、小牧・長久手の合戦で正盛が豊臣秀吉に討たれて滅亡した。【出典

# 「楠」のつく名字

■ 楠木(くすのき)

【2021/03/18:改編】

# 2734位

# 橘氏などに見られる。

# 河内国を起源とする古代氏族

# 代表家紋

# 山陰地方を除く西日本全域にみられる。和歌山県や三重県に多くみられ、特に三重県伊勢市付近に多くみられる。

# 和歌山県:628位、三重県:821位、岡山県:855位など。

# 歴史的には、南北朝時代に南朝方で活躍した武士の楠木正成が有名。楠木正成の家紋

# 楠木から出た名字: 甲斐庄・甲斐荘(かいのしょう)

# 系図上は敏達天皇に始まる橘氏後裔とするが、正成(まさしげ)以前は系図によって異動激しく定かではない。河内国の土豪出身で正成のときに建武の新政で功を成し、子孫は足利氏に抗した。一族に和田・大饗(おおあえ)・梶川・甲斐庄など。代表家紋は「菊水紋」。【出典】【家紋のデータ

# 「楠木」の地名

# 「木」のつく名字

# 「楠」のつく名字

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