「かいのしょう」の名字の由来 | |
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■ 甲斐庄・甲斐荘(かいのしょう)
【2022/11/15:改編】
# 「甲斐庄」は電話帳検索ではヒットせず。「甲斐荘」は全国にわずかにみられる。
# 大阪府を中心にわずかにみられる。
# 甲斐荘(かいしょう): 河内国錦部郡甲斐荘(大阪府河内長野市)をルーツとし、楠木氏の子孫。
# 橘姓の楠木氏族で、河内国錦織郡甲斐庄をルーツとする。代表家紋は「菊水紋」「橘紋」。【出典】【家紋のデータ】
# 甲斐荘(かいのしょう): 河内国錦部郡の国人。錦部郡甲斐荘(大阪府河内長野市)をルーツとする。楠木氏の子孫という。甲斐荘の在庁官人の末裔とみられ、室町時代には武士化して河内国の守護の畠山氏に従った。戦国時代、正治は烏帽子形城(大阪府河内長野市喜多町)に拠っていたが、畠山氏の没落とともに城を失い、のちに遠江国浜松で徳川家康に仕えた。1590年の小田原攻めに参加し、戦後300石を与えられた。その子の正房は江戸時代には旗本。【出典】
# 大阪府の甲斐荘家: 河内国錦部郡甲斐荘(大阪府河内長野市)をルーツとし、楠木氏の子孫という。室町時代には河内国の畠山家に従っていたが、畠山家が滅亡の後、徳川家に仕え江戸時代には旗本。【出典】
# 甲斐荘(かいのしょう): 平安時代から室町時代にかけて、河内国錦部(にしごり)郡にみられた荘園名で、石清水八幡領。
# 甲斐庄飛騨守正親: 楠木正成の後裔で、河内国錦織郡奉行甲斐庄(大阪府河内長野市)をルーツとする。延宝8年(1860年)に南町奉行。【江戸の殿さま 全600家 八幡和郎 講談社】
# 「甲」のつく名字。
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