畠山家 | |
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■ 畠山家(はたけやまけ): 「畠山」の名字の由来
# 代表家紋
【桓武平氏畠山氏】
・ 秩父重綱の子の重弘が畠山氏を名乗った。
・ 重弘の孫の重忠は、当初は平家に従ったが、後に源頼朝に従った。
・ 1205年に北条義時に敗れて滅亡した。
【清和源氏畠山氏】
・ 平姓の畠山氏が滅亡後、重忠の妻が足利義純に嫁ぎ、以後義純は畠山氏を名乗った。
・ 後に「河内畠山氏」と「能登畠山氏」に分裂した。
【河内畠山氏】
・ 河内畠山氏は基国が1391年に山名氏清を討ち、1398年には室町幕府の管領になった。
【能登畠山氏】
・ 基国の次男の満則が能登の守護になったのを祖とする。
・ 1577年に上杉謙信に破れ、江戸時代には高家として3000石を領した。
【日向畠山氏】
・ 1358年に菊池氏、1360年に島津氏に敗れて衰退した。
【薩摩畠山氏】
・ 1332〜1355年頃に薩摩国河辺郡坊津(鹿児島県坊津町)に移り住んだのが始まり。江戸時代は薩摩藩士。
【陸奥畠山氏】
・ 畠山国氏が足利尊氏に従って奥州の管領となったが、吉良貞家に滅ぼされた。
・ 国氏の子の国詮は二本松に住んで二本松氏の祖となった。
・ 陸奥黒沼(宮城県登米郡中田町)の畠山氏は二本松氏の庶流。
■ 二本松家(にほんまつけ・畠山家): 家紋「足利二つ引紋」
・ 陸奥国安達郡二本松(福島県二本松市)を本拠地とした。
・ 室町時代の三管領の一つの畠山氏の庶流。南北朝時代に奥州管領として転じ土着し二本松氏を称した。【戦国大名「御家」系譜事典 宝島社 監修:森岡浩】