「加藤」の名字の由来
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「藤」族の名字  
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■ 加藤(かとう)

【2022/03/30:改編】

# 全国11位【第一生命ランキング

# 第10位 約92万人【明治安田生命ランキング2008

# 第10位 約90万人【明治安田生命ランキング2008

# 第10位 約89万人【明治安田生命ランキング2018

# 第10位 約93万人【道産子のルーツ事典 岸本良信 中西出版】

# 第10位【出典

# 全国順位(森岡浩ランキング): 10位
・ 全国密度順位(森岡浩ランキング): 愛知県 > 岐阜県 > 秋田県
・ 全国人口順位(森岡浩ランキング): 愛知県 > 東京都 > 神奈川県

# 藤原北家の利仁流、藤原北家の道長流などにみられる。

# 代表家紋

# 藤原氏の子孫が平安末期に加賀介になり、加賀の藤原氏を意味する。後に加藤一族は伊勢国に転じて伊勢加藤氏の祖となったため、東海地方に拡がった。

# 加藤姓は四国地方九州地方を除く全国に分布し、特に東海地方に多い。

# 加藤一族からでた名字には、「遠山」がある。

# 伊勢国安濃郡下部田村(三重県津市)に住んだ加藤景員は源義家の家臣として前九年の役で功をあげた藤原景通の子孫で、景通が「加賀介」となり加藤氏を称した。

# 「加藤」姓から変化した名字: 下藤、佳藤、可藤、嘉藤、河藤、甲藤、賀藤、香藤。

# 伊予国大洲藩主の加藤家は藤原北家の利仁流で美濃国を発祥とする。

# 群馬県内の加藤家: 沼田藩の家老。加賀国の出で、徳川家康の命で土岐定政に仕えた。【出典

# 神奈川県の加藤家: 伊勢原市の茶加藤総創業家。武田信玄の家臣の加藤丹後守景忠の末裔と伝える。武田氏の滅亡の際には景忠は討ち死。その子の助之進が相模国に逃れ、その子の時に伊勢原村(神奈川県伊勢原市)に移り住んだという。1728年に初代の宗兵衛が茶加藤を創業した。【出典

# 新潟県の加藤家: 新発田藩家老を務めた。初代は織田信長に仕えていたが信長の死後、溝口家に仕えた。

# 新潟県の加藤家: 三条の豪商で船問屋

# 富山県の加藤家: 室町時代に越中国太田保(富山県富山市)の土豪に加藤氏がいた。

# 富山県の加藤家: 戦国時代に越中国砺波郡広瀬舘村(富山県南砺市舘)に加藤氏がいた。

# 石川県の加藤家: 戦国時代に加賀白山の山麓の牛首谷(白山市白峰)に土豪の加藤氏がおり、江戸時代には帰農して大庄屋を務めた。

# 長野県の加藤家: 佐久穂町(旧佐久町)の旧家で、木曽義仲の家臣の楯六郎親忠の重臣の加藤清忠の末裔という。

# 静岡県の加藤家: 遠江国榛原郡志戸呂村(静岡県島田市)の志戸呂焼きの陶工で、徳川家康から焼き物免許の朱印状を受けた。【出典

# 岐阜県の加藤家: 旗本の六之井加藤家。伊予国大洲藩主の分家。藤原北家利仁流で美濃の出。美濃国斎藤氏に仕え、後に伊予国大洲6万石。その後分家の加藤家が美濃国大野郡六之井(岐阜県揖斐郡池田町六之井)に陣屋をおいて、六之井加藤家となった。【出典

# 愛知県の加藤家: 尾張国六ツ師村(愛知県北名古屋市六ツ師)の豪農。

# 愛知県の加藤家: 三河国碧海郡西境村(愛知県刈谷市)の豪農・豪商で三河国碧海郡岩根村(愛知県安城市小川町)の武家の出。

# 愛知県の加藤家: 尾張藩士【参考

# 滋賀県の加藤家: 水口藩(滋賀県甲賀市)藩主。藤原北家の出というが不詳松平氏の譜代の家臣で、加藤教明は一向一揆に加わったために松平氏を離れ、子の嘉明(よしあきら)が豊臣秀吉に仕えて、賤ヶ岳合戦で七本槍の一人に数えられた。その後、嘉明は石田三成と対立して徳川家康に仕え、関ヶ原の合戦後は伊予松山20万石に入封。1627年には会津40万石に転じたが、子の明成の時に家臣の堀主水との争いがもとで改易された。後に明成の子の明友が水口で再興。明英の時に下野壬生2万5000石に転じたが、嘉矩の時に再び水口2万5000石に戻った。明治時代には子爵。【出典

# 兵庫県の加藤家: 姫路市の旧家で、江戸時代には運送業、明治維新後には醤油の醸造業を営んだ。

# 愛媛県の加藤家: 伊予大洲藩6万石の加藤家。美濃国多芸郡にあった加藤氏が斎藤氏の滅亡後に豊臣秀吉に仕え、いろいろあった後小田原の陣の後に甲斐国甲府24万石へ。後に美濃国黒野4万石を経て、関ヶ原の戦いの後には伯耆国米子6万石、そして元和3年に伊予国大洲に移った。

・ 大洲藩主。藤原北家利仁流で美濃をルーツとする。元は斎藤龍興に仕えていたが、加藤光泰の時に豊臣秀吉に仕え、後に甲斐府中で24万石を領した。子の貞泰は美濃黒野4万石の城主だったが、関ヶ原の合戦後、伯耆米子6万石に加増。1617年に伊予大洲6万石に転じた。二代藩主の加藤泰興は槍術の名手としても知られた。明治時代には子爵。【出典

# 愛媛県の加藤家: 新谷(にいや)藩(愛媛県大洲市)藩主。1623年に大洲藩の二代藩主泰興が父の遺領を継承する際に、弟の直泰に1万石を分知したのが祖。直泰は喜多郡上新谷村に陣屋を置いて新谷藩を立てた。明治時代には子爵。【出典

# 戦国武将の加藤清正は愛知県名古屋市の出身だが尾張国中村発祥の加藤家を由来とする藤原北家道長流?。加藤清正は1632年に肥後国54万石を改易され出羽国庄内に流された。加藤清正の家紋

# 賤ヶ岳七本槍の加藤嘉明(よしあきら)は藤原北家の利仁流。三河国にいたが、後に秀吉に仕えた。淡路国志知1万5千石から伊予国松山10万石へ。

・ 賤ヶ岳の七本槍の一人の加藤嘉明は藤原北家利仁流で、三河にいたが父の教明が一向一揆に荷担して尾張国に移り豊臣秀吉に仕えた。淡路国志知1万5千石を得て、朝鮮の役で活躍して伊予松山10万石を得た。関ヶ原の戦いの後には20万石に加増。1622年に陸奥国会津40万石に転封。しかし、お家騒動が原因で石見国1万石に移され、後に近江国水口藩2万石。その後いったんは下野国壬生に移ったが、また水口に戻り幕末まで続いた。 

# 俳優の加藤嘉は東京都の出身。女優の加藤治子は東京都港区の出身。漫画家の加藤芳郎は東京都新宿区の出身。政治家の加藤六月は岡山県笠岡市の出身。俳優の加藤武は東京都中央区の出身。作家の加藤諦三は東京都の出身。俳優の加藤剛は静岡県御前崎市の出身。俳優の加藤茶は福島県福島市の出身。極楽とんぼの加藤浩次は北海道小樽市の出身。子役の加藤清史郎は神奈川県の出身。 

【戦国大名家辞典 森岡浩 東京堂出版】より

# 山梨県の加藤家: 甲斐国都留郡の国人で加藤景廉の末裔と伝わる。建久4年(1193年)に源頼朝の命で甲斐国の安田義定を討った加藤景廉が、安田氏の領地を引き継いで当地に土着した。

# 石川県の加藤氏: 加賀国能美郡の国人柴田勝家の入国でその配下に下り、江戸時代には帰農して大庄屋を務めた。

# 愛知県の加藤氏: 尾張国愛智郡熱田郷(愛知県名古屋市熱田区)の国人

【新編日本姓氏辞典】千葉琢穂編著 展望社 より

# 中宮高房の孫_利仁流。利仁七代加賀介景道、加賀介たるにより頭文字の加に藤を合わせて加藤と号す。

【知って楽しい「苗字」のウンチク 丹羽基二 PHP文庫】

# 加藤の「加」は元々加賀の加だが、のちに「力(武力)」と「口(文力)」に転じた。

# 加藤忠広 ・ 加藤嘉明 ・ 加藤光泰

# 大洲藩 ・ 新谷(にいや)藩 ・ 水口藩 

# 「加藤」の地名

# 国衆(国人)

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