「遠山」の名字の由来
参考資料・文献 利用上の注意
名字の由来のTop 地名の由来のTop
名字と地名のMenu 「た」行の名字
スポンサーリンク
スポンサーリンク

■ 遠山(とおやま)

【2018/12/26:改編】

# 534位

# 藤原北家利仁流清和源氏などに見られる。

# 代表家紋: 「丸に二つ引両紋

# 遠山氏: 丸に二つ引両紋。藤原利仁の加藤氏の支流。【あなたの起源を読み解く 名字の世界 インデックス編集部 イースト新書Q】

# 愛知県から岐阜県、長野県、新潟県にかけて多くみられ、特に新潟県北部には多い。

# 新潟県:157位、長野県:166位、山梨県:218位、熊本県:242位、岐阜県:266位、〜山形県:1275位。

# 加藤景廉(かげかど)が1185年に源頼朝から美濃国恵那郡遠山庄(岐阜県中津川市)を与えられたのに由来する。戦国時代には本家の岩村遠山氏の他、苗木、明知、明照、飯羽間(いいばま)、串原、大井の七家があった。苗木遠山家は江戸時代美濃国苗木藩1万5千石、明知遠山家は江戸時代には旗本末裔北町奉行遠山金四郎がいる。

# 信濃国伊那郡遠山郷(長野県飯田市)をルーツとする。
※ 内田康夫の「長野殺人事件」の中の記載に、「この地方を遠山郷と呼んだが、遠い山の里の意味ではなく、この地方を遠山氏が治めていたことによるもので、遠山領とも呼ばれた。」。つまり、美濃の遠山氏がこの地に住んで遠山の地名ができたというわけだ。ただ、その地名から別の遠山氏がでてもいいわけだが。

# 戦国時代に北条氏の重臣だった遠山氏は藤原北家利仁流で、代々江戸城代を務めた。末裔江戸時代旗本をつとめる。戦国末期の越後国の御館の乱で、御館にこもった上杉景虎(上杉謙信の養子で北条氏康の七男)の軍師に遠山康光がいた。なお、景虎の母は康光の妹。

# 東京都の遠山家: 小田原の北条氏の重臣で、太田道灌の死亡後、代々江戸城代を務めた。藤原北家利仁流。その後徳川氏に仕え、江戸時代には旗本。【出典】 

# 長野県の遠山家: 信濃国伊那郡遠山郷(長野県飯田市)をルーツとする。【出典】 

# 岐阜県の遠山家: 美濃苗木藩主藤原北家利仁流で美濃の加藤氏の一族。建久6年(1195年)に加藤景廉が美濃国恵那郡遠山荘(岐阜県)を領して後に遠山氏を称した。苗木遠山氏は遠山七家の一つで苗木城を本拠とした。

・ 美濃国苗木藩(岐阜県中津川市)主の遠山家(1万石)の幕末の藩主の遠山友詳は若年寄を務めた。

・ 岐阜県の遠山家: 遠山家は室町時代には美濃国土岐氏につぐ勢力をもっていた。苗木藩主の遠山友忠・友政親子は織田信長に属し、その後徳川家康に仕えた。江戸時代を通じて苗木藩1万5千石。

・ 岐阜県の遠山家: 美濃苗木藩主藤原北家利仁流で、鎌倉時代に源頼朝に従った遠山景廉が遠山荘(岐阜県中津川市周辺)を領し、遠山氏を称した。【出典

# 岐阜県の遠山家: 旗本の明知遠山家。遠山七家の一つで遠山荘内の手向郷明智(岐阜県恵那市明智町)を領した。北町奉行遠山金四郎はこの系統。 

# 歴史的に有名なのは江戸町奉行の遠山の金さん。女優の遠山景織子は東京都の出身。

# 遠山家

# 遠山金四郎

# 苗木藩


■ 遠山(とおやま): 長野県。中世には当地一帯に遠山荘があり、美濃東部にも遠山荘があった。遠山とは、古く信濃伊那郡から遠江・三河の北部、美濃の東部にわたる山間地を、濃尾平野あるいは畿内から見て呼称したものと推定される。その呼称が美濃と信濃に残り、美濃遠山荘と信濃遠山荘が成立したものという。【出典
※ 遠山氏が住んだから遠山と呼ぶようになったという説もあるが、名字と地名のどちらが先か?

スポンサーリンク
スポンサーリンク
都道府県毎の名字の特徴 名字の様々な区分
難読名字 難読地名・珍地名
地名と災害 名字の博物館
名字と地名・都道府県編 民俗学の広場内の検索

■ このサイトで使用している「名字の順位」「全国の概算数」「都道府県毎の順位」などについてはこちらを御覧下さい。詳細】 

統計表示