加藤光泰
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■ 加藤光泰(かとうみつやす): 「加藤」の名字の由来

・  伊予国の大洲藩主の祖の加藤光泰は幕末まで6万石を確保した。光泰は美濃国多芸郡にあったが、斎藤氏が滅亡後は秀吉に仕え、一時は大垣城主になったが秀吉の勘気により失脚し、秀長に属した。その後許されて佐和山城主から甲府24万石へ。朝鮮の役で病死したため、子の貞泰が美濃国の黒野で4万石、。関ヶ原の戦いでは東軍に属し、慶長15年に伯耆国の米子6万石、元和3年には伊予国の大洲へ。

・ 貞泰の次男の直泰が1万石を分知され新谷藩を設立。

【江戸の殿さま 全600家 八幡和郎 講談社】


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