加藤家の家紋
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■ 加藤家の家紋: 「加藤」の名字の由来

# 代表家紋: 「上がり藤に加の字紋(加藤藤)」「蛇の目紋

・ 加藤清正藤原北家道長流): 「蛇の目紋」「桔梗紋」。蛇の目紋は源平の戦いの時に藤原氏の出の加藤景廉が使っていたもの。蛇の目紋は水神としての蛇信仰に由来する。子孫は山形県に在住という。

・ 加藤嘉明藤原北家利仁流): 「下がり藤紋」「蛇の目紋」「水口藤紋」。蛇の目は藤原北家利仁流にみられる。

・ 加藤友三郎元首相: 「蛇の目紋

・ 藤原北家利仁流: 「蛇の目紋」「藤紋」「片喰紋」「九曜紋」「「七宝に花菱紋」「菊紋」。

# 加藤嘉明: 下がり藤紋【武将と家紋 インデックス編集部】 

# 加藤姓の代表家紋: 蛇の目紋、加藤藤紋。【出典

# 加藤光泰(かとうみつやす): 蛇の目紋。美濃国多芸郡に生まれた。初めは、斎藤氏に仕えていたが、斎藤氏が滅亡した後、織田家の家臣であった秀吉に仕えることになった。この戦いの前に行われた、三木城攻めで大いに活躍。播磨国内に5千石を与えられ、1582年に近江国の周山城主になった。次いで、近江国の海津城主を経て、高島城主となった。【出典

# カトウ(加藤、加登、河東、加東、賀藤)【出典

・ 石川県/藤原北家利仁流: 「下がり藤に加の字」「上がり藤に加の字」「下り藤紋」「上がり藤紋」「下がり散ら藤紋」「蛇の目紋」「蛇の目九曜紋」「八つ葉薺紋
※ 藤原利仁から七代目の景道が加賀介となって加藤氏を称した。伊勢国に所領があり、後に美濃国に広がった。

家紋の図柄

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