「薺・蒲公英」の家紋
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■ 薺紋(なずなもん)・蒲公英紋(たんぽぽもん)

# 薺(なずな)紋

・ 雪薺紋: 清和源氏義光流の畠山家。清和源氏頼光流の伊丹家犬飼家日下部氏流朝倉家出典

・ 薺紋・雪薺紋 宇多源氏京極家出典

# 薺紋(なずなもん)・蒲公英紋(たんぽぽもん): 薺紋・蒲公英紋は主に能楽関係の文様や紋として多く見られるが、薺とも蒲公英とも呼ばれる。ナズナは日本各地で見られるアブラナ科の帰化植物である。枯れずに冬を越し、寒冷期には貴重な青物として食された。タンポポは蒲公草と書き「ほこうそう」と読んだ。古くは「フジナ」といい、「菜」と付くことから、食用にされた。タンポポは江戸時代になると庶民に愛好され、園芸栽培も盛んになり、品種改良も行われた。解毒作用があり、漢方薬としても使用された他、古くから世界各地で薬草としてもしようされた。家紋としては近江国の佐々木一族の京極氏で使用されるが、寛政譜では「雪薺は管領畠山家よりうくといふ」とあり、その伝来は畠山氏に由来すると書かれている。また、猿楽の家では、薺紋、または蒲公英紋として使用され、能や狂言の装束に蒲公英の文様が使用されており、薺紋と蒲公英紋は混合する家紋であった。室町時代の守護大名の畠山氏が薺紋とし、江戸幕府の奥高家の京極家は畠山氏から譲られてこれを使用した。寛政譜には、但馬国豊岡藩や丹後国峰山藩の京極家や、幕臣では朝倉家筒井家木村家など、十三の武家が使用した。他に、小河原氏、犬飼氏、庭田氏などで使用した。【出典

# 蒲公英(たんぽぽ)紋: 清和源氏木村家出典

# 薺紋: 朝倉家加藤家伊達家丹羽家畠山家八木家細井家筒井家などに見られる。

# 蒲公英紋(たんぽぽもん): タンポポは野につつましやかに自生し、春から夏にかけて黄色い花を咲かせる。紋はその素朴な風姿を尚美的な意味を込めて表現する。【出典

五つ薺紋  五つ薺紋(いつつなずなもん): 五枚の薺の葉を尻で寄せ、車状に描いた紋様。【出典
八つ薺紋  八つ薺紋(やつなずなもん): 八枚の薺の葉を尻で寄せ、車状に描いた紋様。【出典
雪輪に六つ薺紋  雪輪に六つ薺紋
   

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