「伊丹」の名字の由来
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■ 伊丹(いたみ)

【2023/02/27:改編】

# 1684位

# 万字紋

# 藤原北家利仁流、清和源氏の頼光流などにみられる。

# 関東地方南部や岡山県に多くみられる。

# 戦国大名の伊丹氏は摂津国河辺郡伊丹庄(兵庫県伊丹市)をルーツとする。

# 関西地方から四国地方東部にかけてと、新潟県に多く見られる。江戸時代初期に甲斐徳美藩主を務めた伊丹家は藤原北家利仁流で、加藤氏の一族という。摂津国川辺郡伊丹荘(兵庫県伊丹市)をルーツとする。伊丹城に拠って、室町時代初期から国人領主として活躍した。雅興のときに落城、遺児の康直は上野国に逃れ、のちに徳川家康に仕えた。その子の康勝は1633年に大名となって、甲斐徳美藩(山梨県甲州市塩山)1万2000石を立藩。1698年に四代の勝守が自害して断絶した。一族は旗本として続いた。【出典

# 伊丹(いたみ): 摂津国川辺郡の国人藤原北家利仁流で、加藤氏の一族という。伊丹城(兵庫県伊丹市)に拠り、室町時代初期から国人領主として活躍した。雅興は細川氏に従ったが、享禄2年(1529年)に細川高国の家臣の柳本賢治に敗れて落城、遺児の康直は上野国に逃れた。永禄元年(1558年)に康直は駿河国興津に転じて、今川義元武田信玄を経て徳川家康に仕えた。その子の康勝は寛永10年(1633年)に諸侯に列し、甲斐国の徳美藩(山梨県甲州市塩山)1万2000石を立てたが、元禄11年(1698年)に四代の勝守が自害して断絶した。一族には旗本になった家も多い。【出典

# 徳島県:273位、岡山県:301位、新潟県:575位など。

# 山梨県の伊丹家

# 国衆(国人)

# 「丹」のつく名字

# 「伊」のつく名字

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