「今井」の名字の由来
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■ 今井(いまい)

【2023/05/19:改編】

# 鎌倉殿の13人と名字

# 76位

# 第76位 約22万人【明治安田生命ランキング2008

# 第76位 約22万人【明治安田生命ランキング2013

# 第76位 約22万人【明治安田生命ランキング2018

# 全国順位(森岡浩ランキング): 75位

# 全国密度順位(森岡浩ランキング): 岐阜県 > 新潟県 > 群馬県

# 全国人口順位(森岡浩ランキング): 新潟県 > 岐阜県 > 神奈川県

# 代表家紋

# 京都府から滋賀県、岐阜県、長野県、群馬県、新潟県に多く見られ、特に岐阜県の下呂付近に多く見られる。

# 清和源氏宇多源氏などに見られる。

# 「今(新たに誕生した所)」+「井(水を汲む所)」に由来する。他説には「いま居るところ」の意味もある。

# 「今井」とは新しく出来た水汲み場という意味で、各地にルーツがある。現在は岐阜県を中心に、関西地方から関東地方にかけての地域に広くみられる。なかでも最も有名なのが、源義仲の四天王・今井兼平。美濃国の今井氏など、各地の今井氏はこの末裔と伝えるのものが多い。【出典

# 甲斐国今井村発祥の武田氏流は、武田安芸守信綱の子の、今井兵庫助信泰が祖。相良一族の駿河国の住人の船越景弘の子の、駿河権守遠兼は藤原氏族の今井氏の祖という。【出典

# 甲斐国山梨郡の国衆。武田信綱の子の信景が山梨郡今井(山梨県甲府市)に住んで今井氏を称して、代々武田氏に属した。子の信経は叔父の江草信泰の所領である江草(山梨県北杜市)を継いだ。その子の信※(のぶたか)は甲府に転じて府中今井氏になったのに対して、弟の信慶は江草氏を継いで浦今井氏(逸見今井氏)になった。信※(のぶたか)の子の信房は永正12年(1515年)に大井信達との戦いで討ち死にした。跡を継いだ弟の信甫は武田信虎武田信玄の側近として活躍したが、謀反を疑われて処刑されたという。一方、信慶の子の信是は浦信是ともいわれ、永正17年に大井氏らとともに武田信虎と争って敗れた。享禄4年(1531年)には子の信元が飯富氏・栗原氏とともに武田信虎に叛いて浦城に籠城して、翌年敗れて浦城を失った。その後は、武田家で旗本武者奉行をつとめた信衡・信昌らが知られる。天正10年(1582年)の武田氏の滅亡後、信俊は徳川家康に従って旗本になって、子の昌俊は高尾氏改称した。【出典

# 永禄年間初期に、北条氏の家臣の今井源太郎は伊豆江間(伊豆長岡町)を知行し、同族の雅楽助は三島地内を知行したが、武蔵国今井村発祥の武蔵七党の児玉党の一族という。【出典

# 今井の名字の移動。【詳細

# 信濃の今井氏は、信濃国佐久郡今井(長野県佐久市)をルーツとする。

# 信濃国今井(長野県岡谷市)に由来する。

# 土佐国土佐郡今井(高知県高知市)に由来する。

# 山形県の今井家

# 群馬県の今井家

# 新潟県の今井家

# 富山県の今井家

# 石川県の今井家

# 長野県の今井家

# 静岡県の今井家

# 岐阜県の今井家

# 兵庫県の今井家

# 歌手で女優の今井(布袋)美樹は宮崎県生まれ。

【一個人 2013年12月号】

# 今井(75位)

・ 関東地方から中部地方に多く、特に岐阜県に多い。

・ 信濃国筑摩郡今井村をルーツとし、中原氏の出で各地に広がった。

・ 甲斐国山梨郡今井をルーツとし、清和源氏武田氏の一族。

・ 武蔵国児玉郡今井村をルーツとし、武蔵七党の児玉党の一族。

・ 近江国の今井氏は蒲生氏の出。

# 今井兼平: 木曾義仲は京から近江国の瀬田を経て粟津に逃れた。その際に従った数騎の配下の武将の中に幼なじみの今井兼平(かねひら)の名前が見える。兼平は涙ながらに義仲に自害を勧め、自分も後を追ったという。 

# 国衆(国人)

# 「井」のつく名字

# 「今」のつく名字

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