「大井」の名字の由来
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■ 大井(おおい)

【2023/05/19:改編】

# 502位

# 代表家紋

# 東京都らしい名字。

# 清和源氏村上源氏桓武平氏藤原氏越智氏紀氏などに見られる。

# 富山県:126位、長野県:187位、山形県:234位、奈良県:348位、静岡県:353位など。

# 全国では502位(約41300人)の名字だが、東京都(460位約4400人)、神奈川県(437位約3300人)、北海道(355位約2500人)、富山県(126位約1400人)などに多く見られる。

# 主なルーツ地
・  武蔵国荏原郡大井郷(東京都品川区)をルーツとする。
・  信濃国佐久郡大井荘(長野県佐久市)をルーツとする。
・  甲斐国巨摩郡大井郷(山梨県南アルプス市)をルーツとする。
・  武蔵国入東郡大井郷(埼玉県ふじみ野市)をルーツとする。
・  安房国大井(千葉県館山市)をルーツとする。

# 武蔵国荏原郡大井郷(東京都品川区)をルーツとし、紀氏の出。

# 信濃国佐久郡大井荘(長野県佐久市)をルーツとし、清和源氏小笠原氏庶流承久の乱の功で、小笠原朝光が大井荘の地頭となった。戦国時代には武田家に仕え、その後徳川家に転じ、江戸時代には旗本。【出典

# 甲斐国巨摩郡大井郷(山梨県南アルプス市)をルーツとし、清和源氏武田氏流

# 武蔵国入東郡大井郷(埼玉県ふじみ野市)をルーツとし、武蔵七党の一つの村山党。

# 安房国大井(千葉県館山市)をルーツとする。

# 信濃国小諸の大井高政は、永禄10年に大井高政・満政父子は上野国箕輪城への在城を指示された。それまでは、小諸城の警固と定期的な普請、小諸より上野国に向けた兵糧その他の輸送業務を命じられていたが、今回は本拠地を離れての在番である。しかし、大井高政は、武田氏に対し小諸を進上するので、上野国箕輪周辺で替え地をいただきたいと申請したものである。これは自発的な転封願いに相当する。その理由については、同時期に佐久郡を襲った大凶作と飢饉を想定している。しかし、武田氏は給与した恩地について、たとえ水損、旱損による損害が出たとしても替え地の申請は受け付けないと明確に規定し、被害による減額分に応じた奉公を指示していた。ただし、これには例外規定があり、忠勤に励んだ者についてはそれに応じた地を与えるとしている。それでも、恩地の加増について考慮すると述べているだけで、例外規定でも替え地は認定していない。【出典

# 秋田県の大井家

# 山梨県の大井家

# 富山県の大井家

# 長野県の大井家

# 大井(おおい): 旧武蔵国(埼玉県)。県南部、武蔵野台地北東部を東流する曽禰(そね)川流域に位置する。地名は、当地の東に「おいど」と称する古井戸があったことによるという。また、南東部に大きな井戸があり、その付近を小名大井戸(おいど)と称していたのが、やがて大井となったともいう。武蔵七党村山党村山貫主頼任の孫に当たる家綱は、大井五郎太夫と称し当地に居住したという。【出典

# 大井(おおい): 旧美濃国(岐阜県恵那市)。地名の由来は、付近を流れる阿木川が大きい川(井)であること、あるいは数多くの井水(用水)によって耕地が開けたことによるという。【出典

# 国衆(国人)

# 「井」のつく名字

# 「大」のつく名字

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