「蒲」の名字の由来 | |
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■ 蒲(かば・がま)
【2013/04/24:新載】
# 3884位
# 「蒲(かば・がま)」の生えている土地?
# 岐阜県に多く、特に郡上市に多くみられる。東京都や北海道では「がま」と読む。
# 岐阜県:341位。
# 遠江国長上郡蒲村をルーツとする。
# 藤原鎌足の十代の子孫が越後からここに移り住んで、初代の「蒲氏」を名乗った。
# 源範頼は、遠江国蒲御厨(静岡県浜松市)で生まれ育ったので、「蒲冠者(かばのかじゃ)・蒲殿(かばどの)」と呼ばれた。
# 「蒲」のつく名字。
■ 蒲池(かまち)
■ 蒲生(がもう)
【2023/05/23:改編】
# 2412位
# 代表家紋
# 清和源氏為義流、藤原北家秀郷流、桓武平氏、紀氏などにみられる。
# 地名由来。
# 代表家紋
# 山形県:429位、福島県:632位、滋賀県:651位、宮崎県:706位、島根県:748位など。
# 近江の蒲生氏は近江国蒲生郡(滋賀県蒲生郡)をルーツとし、藤原北家秀郷流。会津若松藩主蒲生氏郷の蒲生家はこの家系。
・ 蒲生氏郷は近江国の守護の六角氏にしたがっていたが、織田信長が近江を平定した後、織田家に人質として送られたが、後に娘婿になった。
・ 近江国蒲生郡の日野にいた蒲生賢秀は、藤原北家秀郷流を称し、守護の六角氏に従っていたが、織田信長に服し、子の氏郷を人質として信長のもとに送った。氏郷は信長に気に入られ、娘婿となった。本能寺の変の後、小牧・長久手の合戦での功もあって伊勢松ヶ島(三重県松阪市)城主となった。秀吉の関東平定後には会津黒川(会津若松)に転じた。氏郷の死後、子の秀行は家康の娘婿となったが内紛が原因で宇都宮18万石に移された。関ヶ原の戦いでは東軍に属し、会津60万石で復帰。しかし、伊予松山24万石に移り、1634年に跡継ぎがおらず断絶した。
# 大隅の蒲生氏は大隅国姶良郡蒲生郷(鹿児島県姶良市蒲生町)をルーツとし藤原氏の出。
# 大隅国の戦国大名。藤原姓。保安4年(1123年)に宇佐八幡宮の留守職の藤原教清の子の舜清が大隅国に転じて、のちに姶良郡蒲生郷(鹿児島県姶良市蒲生町)に住んで蒲生氏を称して頴娃郡司平忠永の娘を娶った。南北朝時代には島津氏に従い、清寛は島津元久の家老をつとめた。戦国時代には、茂清のときに島津氏に叛いて、以後はしばしば島津氏と抗争した。天文23年(1554年)から弘治3年(1557年)まで続いた島津氏の戦いで落城、のちに清親が島津貴久に従って蒲生氏を再興した。【出典】
# 陸奥の蒲生氏は桓武平氏で陸奥国宮城郡蒲生郷(宮城県仙台市)をルーツとする。
# 因幡の蒲生氏は因幡国岩井郡蒲生郷(島根県岩美郡岩美町)をルーツとする。
# 蒲生家
# 国衆(国人)
# 「生」のつく名字。
# 「蒲」のつく名字。
【2024/03/21:新載】
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