「小代」の名字の由来
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■ 小代(しょうだい、おじろ、こしろ)

【2023/05/23:改編】

# 武蔵国入西郡小代(埼玉県東松山市正代)をルーツとし武蔵七党の児玉党の出。入西相行の二男の遠弘が小代氏を称した。鎌倉時代には小代郷の地頭を務めた。肥後国の小代氏は一族。1247年に重康が承久の乱で功を上げ、肥後国玉名郡野原荘の地頭になった。1271年に下向し、南北朝時代には北朝に属した。戦国時代、重定は加藤清正に仕え、4000石を領した。現在は、大分県から熊本県北部にかけて多く見られる。【出典

# 埼玉県の小代家

# 「おじろ」読みだが、「しょうたい」「こしろ」とも読む。【出典

# 発祥地は武蔵国入間郡小代で武蔵七党の児玉党の一つ。入西(にっさい)資行の後裔の小代遠広に始まる。源頼朝のころに、肥前国玉名郡野原荘、安芸国見布乃(みふの)を領し、子孫は肥後国や安芸国にも広がった。代表家紋は「軍配団扇紋」。【出典

# 小代(しょうだい): 肥後国国衆武蔵国の小代氏の一族。宝治元年(1247年)に重康が宝治合戦の功で、肥後国玉名郡野原荘の地頭になったのが祖。文永8年(1271年)に幕府の命で下向した。戦国時代には菊池氏に仕えていたが、天文3年(1534年)に菊池氏が滅亡、重忠は大友義鑑に従った。以後は、天正6年(1578年)に大友宗麟島津氏に敗れると、龍造寺隆信に従い、隆信が島津氏に敗れると、親泰は島津氏に仕えた。豊臣秀吉の九州仕置きで、加藤清正によって津奈木城(熊本県葦北郡津奈木町)に移され、330年間領した野原から転じた。【出典

# 「小」のつく名字

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