「種子島」の名字の由来 | |
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■ 種子島(たねがしま)
【2021/05/19:改編】
# 鹿児島県の種子島家: 種子島や屋久島を支配した。平清盛の孫の行盛の子孫を称す。島津家に従ったのちに、江戸時代には島津家の重臣。
・ 種子島島主。北条氏の一族の名越氏の被官の藤原姓の肥後氏の末裔。江戸時代には薩摩藩の重臣。明治維新後には男爵。【出典】
・ 種子島の島主で戦国大名の種子島氏の末裔。平清盛の孫の行盛の子孫というが、実際は北条氏の一族の名越氏の被官の藤原姓肥後氏の末裔。鎌倉時代中期に地頭の名越氏の被官となり、鎌倉幕府滅亡後も在地領主として種子島を支配した。戦国時代の時堯は1543年の鉄砲伝来時の領主として著名。江戸時代には薩摩藩の重臣となり、私領として種子島を領した。明治時代には男爵。【出典】
# 種子島家(たねがしまけ): 家紋「三つ鱗紋」
・ 大隅国熊毛郡赤尾木(鹿児島県西之表市)を本拠地とした。
・ 大隅国の守護代を務めた肥後氏の末裔で、鎌倉時代から種子島を領した。戦国時代には島津家に従い、文禄4年(1595年)に薩摩国知覧に移封されたが、のちに種子島に戻った。【戦国大名「御家」系譜事典 宝島社 監修:森岡浩】
# 「島・嶋」のつく名字。
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