「朝比奈」の名字の由来
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■ 朝比奈(あさひな)

【2023/05/19:改編】

# 1733位

# 漢字三文字苗字ランキング: 50位

# 五三桐紋

# 藤原氏良門流、桓武平氏三浦氏流など。

# 朝日のあたる所を意味し、東日本に多い名字。

# 東海地方の名字で、特に静岡県静岡市に多くみられる。

# 静岡県:253位、高知県:389位、山梨県:554位など。

# 朝比奈泰朝(あさひなやすとも): 左三つ巴紋。今川家の重臣。今川義元の息子の氏真と同年代であったため二人は仲が良く、桶狭間では井伊直盛と共に先鋒として、鷲津砦を攻略。義元の討ち死にの報を聞いてやむなく撤退したが、その後も長年にわたって氏真を支え続け、最後まで今川家に忠義をつくした。【出典

# 駿河国志太郡の国衆藤原北家の出という。堤中納言兼輔の子の公国が駿河国の国司として下向中にもうけた国俊が志太郡朝比奈(静岡県藤枝市岡部町)に住んで朝比奈氏を称したという。鎌倉時代には、朝比奈城を築いた。室町時代には今川氏に従い、戦国時代には嫡流は掛川城(掛川古城)に入り、永正9年(1512年)に新城を築いた。他に宇津山朝比奈氏など数流があった。とくに嫡流の泰能は今川氏の重臣筆頭として活躍した。永禄11年(1568年)に今川氏真が駿府を追われると、泰朝は掛川城に氏真を迎えたが、翌年徳川家康に攻められて開城し、氏真とともに北条氏のもとに逃れた。その後、惣領になった一族の信置は武田勝頼に仕えて持舟城(静岡市駿河区)に拠ったが、天正10年(1582年)に織田信長に敗れて自刃した。【出典

# 主なルーツ地

・ 相模国鎌倉郡朝夷名(神奈川県横浜市金沢区朝比奈)をルーツとし、桓武平氏三浦氏の一族。

・ 駿河国志太郡朝比奈(静岡県藤枝市岡部町)をルーツとし、藤原北家

・ 駿河国益頭郡朝夷郷をルーツとするが、青森などにもある地名由来。特に静岡県内には多い地名。

# 神奈川県の朝比奈家

# 和歌山県の朝比奈家

# 神奈川県鎌倉市の円覚寺住職で、水戸黄門、大岡越前など、時代劇の題字の筆者としても有名な朝比奈宗源は静岡県の出身。

# 「朝日奈」「朝夷」にも通用す。駿河国益津郡朝夷から起こったのは駿河国司となった藤原兼輔の子孫で戦国時代今川氏の重臣だった。同じ今川家の家臣だが桓武平氏流の朝比奈氏もあり、この系は和田義盛の三男の朝比(夷)名義秀を祖とする和田氏族で安房・讃岐にも広まった。代表家紋は「三つ巴紋」「九曜紋」。【出典】【家紋のデータ

# 朝比奈(あさひな): 鎌倉と六浦を結ぶ峠の地名。横浜市金沢区朝比奈から上る旧道の標識に「朝夷奈峠」とある。「エビス」の漢字には「戎」や「恵比寿」という佳字もあるが、それにもかかわらず「夷」が使われている。それは、このあたりに夷民族が暮らしていた古い記憶が鎌倉時代まで残っていたせいかもしれない。「アサヒナ」は「アサム・ピ・ナイ(湾の奥の・涸れた・沢)、または「アサムイ・ピラ(奥の山の・崖の所)」を意味する。【出典

# 国衆(国人)

# 「朝比奈」の語源

# 「朝・昼・夜」のつく名字

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