「西園寺」の名字の由来
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■ 西園寺(さいおんじ)

【2022/11/15:改編】

# 公家の名字

# 公家西園寺家

# 代表家紋

# 伊予国南部の戦国大名。1236年に、公家の西園寺公経が伊予国宇和郡を領したのが祖。公家の西園寺家は藤原公実の四男の通季を祖とする精華家の一つで、家号は1224年に公経が京都北山に造った西園寺に由来する。伊予国の西園寺氏は南北朝時代の1376年に宇和郡宇和荘(愛媛県)に逃れた一族が、そのまま土着したものだが、本家との関係は不詳。公俊のときに松葉城を築いて拠った。実充のときに黒瀬城(愛媛県西予市宇和町)に転じて戦国大名になり、宇和郡全域を支配した。1556年に大洲の宇都宮氏との戦いで、実子の公高が討ち死にしたことから、来応寺の僧侶だった一族の公広が還俗して継ぎ、毛利氏と結んだ。1584年に長宗我部元親に敗れて降り、翌年豊臣秀吉の四国攻めで秀吉に降伏。宇和郡の領主となった秀吉の家臣の戸田勝隆に公広が殺されて滅亡した。一族に南北朝時代に同郡来村(宇和島市)に転じて、亀ヶ淵城(宇和島市宮下)に拠った来村西園寺氏がある。【出典

# 西園寺から出た名字: 小倉

# 京都府の西園寺家

# 愛媛県の西園寺家

# 公家の名字承久の乱の際に、公経が幕府に通報して信任を得て、関東申次職となり、権勢を得た。家号は1224年に公経が京都北山に造った西園寺に由来する。公経はさらに、天皇の外戚となり、以後代々太政大臣まで進み、摂関家と並ぶ権勢を誇った。家職は琵琶。しかし、鎌倉幕府の滅亡とともに、勢力を失った。江戸時代の家禄は597石。幕末、徳大寺家から養子となった公望は明治維新に際して活躍し、明治時代侯爵。後に首相となった。【出典

# 伊予西園寺氏: 伊予国の西園寺氏は、建武の新政後の1376年に、伊予国宇和郡宇和荘(愛媛県)に逃れた一族がそのまま土着したものだが、本家との関係は不明。【出典

# 国衆(国人)

# 「園・薗」のつく名字

# 「寺」のつく名字

# 「東西南北」のつく名字

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