「宇都宮」の名字の由来
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■ 宇都宮(うつのみや)

【2022/10/13:改編】

# 754位

# 漢字三文字苗字ランキング: 13位

# 代表家紋

# 藤原北家道兼流、藤原北家秀郷流などにみられる。また、下野国古代豪族の毛野(けぬ)氏の末裔という説もある。

# 愛媛県南部と大分県北部に多くみられる。【全国分布

# 愛媛県:33位、大分県:123位など。

# 主なルーツ地: 下野国河内郡宇都宮(栃木県宇都宮市)をルーツとし、藤原北家の道兼流。

# 宇都宮氏: 下野国の戦国大名。関白藤原道兼の曽孫の宗円が1057年または60年に下野国宇都宮に下向し、宇都宮座主となったのが祖とされるが、古代豪族の毛野(けぬ)氏の出という説もある。朝綱は鳥羽院の武者所で後白河院の北面の武士を務めた。平安時代末期には平家に仕えていたが、やがて源頼朝方に転じ、鎌倉幕府御家人になって伊賀国阿拝(あえ)郡壬生野(三重県阿山郡伊賀町)の地頭職も賜った。承久の乱では一族の横田頼業や笠間時朝が活躍、その恩賞として朝綱には伊予国の守護職が与えられた。以後、幕府の有力御家人となって、泰綱は評定衆、景綱は引付頭人をつとめた。また景綱は1283年に貞永式目にならった宇都宮家弘安式案を制定した。 一方、宇都宮歌壇と呼ばれる地方歌壇を形成、京都や鎌倉の文化人と交流を持ち、私家集も編纂した。南北朝時代、公綱は紀党(益子氏)、清(せい)党(芳賀氏)を率いて南朝方に属して各地を転戦したしたが、子の氏綱は一貫して足利尊氏に与している。室町時代には足利氏に仕え、関東を代表する大名となった。 1590年に国綱は豊臣秀吉の小田原攻めに参陣して本領を安堵されたが、1597年に石高を隠匿したとして所領を没収されて宇喜多秀家家に預けられた。同年に秀吉が死去したため回復はならなかった。以後、国綱は諸国を流浪し、1607年に死去して嫡流は滅亡した。【出典

# 宇都宮氏から出た名字には「八田」「小田」「小幡」「茂木」「宍戸」「山鹿(やまが)」「田中」「塩谷」「笠間」「横田」「西方」などがある。また「横田」氏からは「松野」「石井」「壬生」「落合」「刑部」「今泉」「上三川(かみのかわ)」「桑島」などがある。

# 栃木県の宇都宮家

# 石川県の宇都宮家

# 愛媛県の宇都宮家

# 福岡県の宇都宮家

# 豊前国の宇都宮氏や伊予国の宇都宮氏は下野国の宇都宮氏の一族。

# 紀伊国の宇都宮氏も同族。

# 宇都宮の地名の由来

# 宇都宮家

# 国衆(国人)

# 石川県内の「宇都宮」の名字の詳細

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