公家ゆかりの名字 | |
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■ 公家の名字
・ 藤原氏が隆盛の頃、貴族のほとんどが藤原氏だったが平安時代の後期になると「一条」「二条」「西園寺」といった貴族も出てきた。この理由には婚姻形態の変化があると言われる。昔は夫が妻の所に通う「妻訪婚(つまどいこん)」だった。この場合、苗字(家号)は父から子へと伝わらない。そして、時代が下り婚姻の形態が変わると、子供は父親と同居するようになり、親の苗字を子が継ぐようになった。このように一代限りの家号が、子へを伝えられる苗字となった。
・ 公家の名字には京都周辺の地名が多い。近衛、一条、二条、日野、徳大寺、土御門など。【出典】
■ 公家特有の読み方
・ 久我(こが)家、石井(いわい)家、石野(いわの)家、愛宕(おたぎ)家、池尻(いけがみ)家、正親町(おおぎまち)家、勘解由小路(かでのこうじ)家、万里小路(までのこうじ)家。【名字でたどる日本の名家 森岡浩 日本実業出版社】
■ 姉小路(あねこうじ): 【閑院流】
■ 阿野(あの): 【閑院流】
■ 綾小路(あやのこうじ): 【宇多源氏】
■ 一条(いちじょう): 【摂家】藤原鎌足の裔。九条家から分かれた。五摂家の一つ。
■ 五辻(いつつじ)
■ 今園(いまぞの)
■ 今出川(いまでがわ): 【閑院流】
■ 石井(いわい)
■ 石野(いわの)
■ 梅小路(うめこうじ): 【勧修寺家】藤原北家高藤流
■ 梅園(うめぞの)
■ 裏辻(うらつじ)
■ 裏松(うらまつ)
■ 大炊御門(おおいみかど): 【花山院流】
■ 正親町(おおぎまち): 【藤原北家閑院流】
■ 大原(おおはら)
■ 大宮(おおみや): 【閑院流】
■ 押小路(おしこうじ): 【閑院流】
■ 風早(かざはや): 【閑院流】
■ 花山院(かざんいん): 【花山院流】
■ 勘解由小路(かでのこうじ): 【日野家】藤原北家内麿流
■ 烏丸(からすま): 【桓武平氏】平高棟流 ・ 【日野家】藤原北家内麿流
■ 閑院(かんいん)
■ 勧修寺(かんしゅうじ、かじゅうじ): 【勧修寺家】藤原北家高藤流
■ 北大路(きたおおじ): 【摂家】藤原北家閑院流
■ 九条(くじょう): 【摂家】藤原鎌足の裔。五摂家の一つ。
■ 西園寺(さいおんじ): 【閑院流】
■ 沢(さわ)
■ 滋野井(しげのい): 【閑院流】
■ 芝亭(しばてい)
■ 清水谷(しみずだに): 【閑院流】
■ 高倉(たかくら): 【高倉】
■ 鷹司(たかつかさ): 【摂家】藤原鎌足の裔。近衛家から分かれた。五摂家の一つ。
■ 高辻(たかつじ)
■ 高松(たかまつ): 【閑院流】
■ 竹屋(たけのや)
■ 土御門(つちみかど): 【安倍流】
■ 洞院(どういん)
■ 徳大寺(とくだいじ): 【閑院流】藤原北家公季流
■ 富小路(とみこうじ): 【摂家】二条家の分家。
■ 豊岡(とよおか)
■ 中御門(なかみかど): 【中御門家】藤原北家頼宗流 ・ 【勧修寺家】藤原北家高藤流
■ 錦小路(にしきこうじ): 【丹波流】
■ 二条(にじょう): 【摂家】藤原鎌足の裔。九条家から分かれた。五摂家の一つ。
■ 庭田(にわた)
■ 野宮(ののみや)
■ 橋本(はしもと): 【閑院流】藤原北家公季流。西園寺氏の庶流。
■ 東久世(ひがしくぜ): 【村上源氏】
■ 広橋(ひろはし)
■ 藤谷(ふじたに)
■ 舟橋(ふなはし): 【清原】
■ 伏原(ふしはら)
■ 坊門(ぼうもん)
■ 穂波(ほなみ)
■ 堀河(ほりかわ): 【高倉】
■ 万里小路(までのこうじ): 【勧修寺家】藤原北家高藤流
■ 武者小路(むしゃのこうじ): 【閑院流】
■ 山科(やましな)
■ 山本(やまもと): 【閑院流】
■ 四辻(よつじ)