「一条」の名字の由来
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■ 【摂家】 藤原鎌足九条家から分かれた。五摂家の一つ。

■ 一条(いちじょう) 

【2021/02/25:改編】

# 代表家紋

# 五摂家の一家で、関白藤原実経が京都の屋敷の地に由来して一条氏を称した。後裔の兼良(かねら)は室町時代の学者としても有名。兼良の子の教房は土佐国幡多郡畑本荘の所領に下向し、その子の房家は土佐中村の御所にあって土佐一条家の祖となった。後裔は公家大名で武将としても活躍したが長曽我部氏に滅ぼされた。他流では甲斐国に武田氏族が、伊予国に河野一族がある。また、豊前国・肥後国の豪族などにみられる。代表家紋は「下り藤」「割り菱」。【出典】【家紋のデータ

# 京都府の一条家: 公家仁治3年(1242年)に藤原道家の四男の実経が一条室町第を贈られ、一条家の祖となった。

・ 公家。摂関家。1242年に藤原道家の四男の実経が一条室町第を譲られ、一条家を興した。1250年以降、九条流三家の嫡流となった。室町時代の一条兼良は有職故実家として有名。江戸時代初期の1611年に内基が嗣子なく死去したため、後陽成天皇の九男の昭良が養子となって家督を継いだ。家禄は2044石。明治時代には公爵。【出典

# 高知県の一条家: 藤原氏の一族の一条氏の出。応仁の乱のときに一条教房が土佐国に転じて武士となった。後に、家臣に領地を奪われ豊後国に逃れた。【出典

# 一条(いちじょう): 福岡県筑後市一条。広川山地の末端と長峰丘陵(八女(やめ)丘陵)の間にひらけ、広川が大きく北へ迂回する南側に位置する。地名の由来は、条里制の名残といわれている。中世には勢得名の一部であったといわれる。人形原には国史跡の石人山古墳(前方後円墳)があり、南屋敷は戦国期の一条和泉守の館跡といわれている。【出典

# 一条家

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