「千種」の名字の由来
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■ 千種(ちくさ、ちぐさ)

【2023/02/08:改編】

# 東海地方の名字。特に三重県北部に多く、公家の千種家の流れが多い。公家の千種家は村上源氏の出で、明治維新後には子爵。伊勢の千種氏は千種城主で、公家の千種家の一族が伊勢国三重郡に転じた。【出典

# 名古屋市に千種区があるが、ここはどう関係するか?

# 村上源氏流の公卿の千種氏は久我通光の曾孫の有忠お子の忠顕(ただあき)を祖とする。江戸時代に久我有能が再興して明治時代に至る。伊勢国の北畠氏の家臣の千種氏は忠顕の子孫というが武士化した系統で後に幕臣。代表家紋は「笹竜胆紋」「巴紋」「月星紋」。【出典】【家紋のデータ

# 千種(ちくさ): 伊勢国三重郡の国人公家六条有忠の二男の忠顕は一家を興して千種氏を称して、後醍醐天皇の股肱の臣として活躍した。その子の顕経も南朝に仕え、顕経のあとは中院光興の子の雅光が継ぎ、子孫は伊勢国三重郡に土着して伊勢千種氏になったというが、異説もある。のちに千種城(三重県三重郡菰野町)を築き、北伊勢の国人として活躍した。戦国時代に内訌のために没落し、滝川一益に討たれて一旦滅亡。その後、忠治が織田信雄に仕え千種城を回復したが、信雄の追放で再び浪人。1590年に忠房のときに豊臣秀吉に仕えた。1615年に大坂夏の陣(大坂の陣)で顕理が討ち死し、断絶した。【出典

# 「数・数字」のつく名字

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