「壬生」の名字の由来
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■ 壬生(みぶ)

【2022/02/05:改編】

# 抱き杏葉紋

# 長野県の伊那地方に多い。

# 古代に皇子の養育のために設けられた壬生部に由来する壬生は「乳部(みぶ)」ともかかれ、「乳部」とは王子が生まれてまもない時に王子に仕えた人たちを表す。後の「乳母」にも近い表現か? 推古15年(607年)に聖徳太子は壬生部をおいた。壬生部は王位継承者の名代

# 公家の壬生家は藤原北家園家の支流で江戸時代に開いた。明治維新後は伯爵

# 地下官人の壬生家は小槻氏の出。明治維新後は男爵

# 下野国の壬生氏は、室町時代に京都の地下官人の壬生家からでた、壬生胤業を祖とする。壬生家は後北条氏とともに滅んだ。【小さな城下町 安西水丸 文藝春秋社】 > 京都の壬生の地名に由来する?

# 下野国の壬生氏は藤原北家の出で、藤原胤業が下野国都賀郡壬生(栃木県下都賀郡壬生町)に下向し、宇都宮氏の重臣となった。後の後北条氏の家臣となったが秀吉の小田原征伐で滅亡。 > 京都の壬生の地名に由来する?

# 栃木県の壬生家: 藤原北家で、下野国壬生(栃木県壬生町)をルーツとする。宇都宮氏の重臣として活躍したが、戦国時代には北条氏政に従った。【出典

# 栃木県の壬生家: 下野国都賀郡壬生(栃木県下都賀郡壬生町)をルーツとし、藤原北家の出。【出典】  

# 壬生(みぶ): 「壬生」は王家につかえる職業に由来する。「壬生」は「乳部(みぶ)」とも書かれる。「乳部」は王子が生まれてまもないときに世話をする人たちをいう。推古15年(607年)に、聖徳太子は遣隋使を送り、壬生部をおいた。壬生部は王位継承者の名代であった。この壬生部が各地に広まり、「壬生」の地名ができた。【地名でわかるオモシロ日本史 武光誠 角川ソフィア文庫】

# 地形姓で各地に見られる。【出典

# 公家の壬生家: 藤原北家の園氏の支流。江戸時代、霊元天皇の外祖父にあたる園基音の子の基起が一家を興して葉山氏を称し、俊平のときに壬生氏を称した。家格は羽林家。江戸時代の家禄は130石。幕末、壬生家を継いだ基修は国事に奔走し、1863年に長州に落ちた。明治時代には伯爵。【出典

# 地下官人の壬生家: 小槻氏の出。平安時代後期以降、代々小槻氏が太政官弁官局吏官を世襲、室町時代に二家に分裂した際の一つ。戦国時代には大宮家が断絶して以降は、官務家を独占した。明治時代には男爵。【出典

# 下野国の壬生家: 藤原北家の出。胤業が下野国都賀郡壬生(栃木県下都賀郡壬生町)に下向、壬生城に拠った。のちに鹿沼も支配して、代々宇都宮氏の重臣を務めた。1585年に、義雄は北条氏直の家臣になったが、小田原征伐で滅亡した。【出典

# 現在は、長野県の伊那地方に多く見られ、豊丘村では3位。【出典

# 「壬生」の地名の由来

# 国衆(国人)

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