栃木県内の「壬生」の名字の詳細 | |
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■ 壬生(みぶ): 栃木県の壬生家
# 栃木県の壬生家: 藤原北家で、下野国壬生(栃木県壬生町)をルーツとする。宇都宮氏の重臣として活躍したが、戦国時代には北条氏政に従った。【出典】
# 栃木県の壬生家: 下野国都賀郡壬生(栃木県下都賀郡壬生町)をルーツとし、藤原北家の出。【出典】
# 下野国都賀郡の国衆。地下官人の筆頭の壬生家の一族で、室町時代に胤業が下野国都賀郡壬生(栃木県下都賀郡壬生町)に下向、壬生城に拠ったのが祖。また、宇都宮氏の庶流という説もある。享徳の乱の頃から台頭し、本領は壬生の他に鹿沼も支配し代々宇都宮氏の重臣になった。綱重以降は代々宇都宮氏から「綱」の字を拝領した。天文18年(1549年)の宇都宮氏の内訌の際には、義雄が宇都宮城に在城して宇都宮一族をとりまとめていたが、弘治3年(1557年)佐竹氏の支援を得た宇都宮広綱によって宇都宮城を追われ、永禄5年(1562年)には広綱によって謀殺された。子の義雄は天正7年(1579年)に鹿沼城を奪還、北条氏と結んで宇都宮氏と戦った。天正18年(1590年)の豊臣秀吉の小田原攻めでは小田原城に籠城、開城直後に義雄が病死したため断絶した。【出典】
# 下野国都賀郡の国人。地下官人筆頭の壬生家の一族という。室町時代に胤業が下野国都賀郡壬生(栃木県下都賀郡壬生町)に下向し、壬生城に拠ったのが祖。のちには、鹿沼も支配して代々宇都宮氏の重臣になった。義雄は鹿沼城を本拠とし、北条氏と結び、宇都宮氏と戦った。天正18年(1590年)の豊臣秀吉の小田原攻めでは小田原城に籠城、開城直後に義雄が病死したため断絶した。【出典】
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