「沢」の名字の由来
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■ 沢(さわ) 

【2023/05/22:改編】

# 公家の名字

# 代表家紋

# 滋賀県をはじめ近畿地方に多く見られ、北海道にも多い。

# 地形姓で各地にみられる。

# 公家の沢家: 清和源氏庶流伏原宣幸の二男の忠量が一家を興して沢氏を称した。幕末の沢宣嘉は尊皇攘夷派の公家として活躍、1863年8月18日の政変では長州に落ちた七卿の一人。明治維新後には伯爵。【出典

# 大和沢氏: 大和国宇陀郡沢(奈良県宇陀郡榛原町)をルーツとする。戦国時代のはじめは国司北畠氏に、後期は後北条氏に仕えた。【出典

# 旗本の沢家: 清和源氏細川氏庶流といい、後北条氏に仕えた。【出典

# 高島藩の沢家: 信濃国の高島藩士宇多源氏佐々木氏の一族。【出典

# 新潟県の沢家

# 現在は、関西地方に多く見られる。【出典

# 近江国野洲郡沢より起こるは清和源氏流、菅原姓、宇多源氏佐々木氏族、伴姓(大原氏)と多流ある。信濃国に諏訪氏族、紀伊国に湯川氏族、他に伊予国・越後国など各地の地名により多彩である。なお、清和源氏の沢氏に広沢義実の子孫があり、後北条氏上杉氏に仕えた。石見国の沢氏は三善姓佐波氏をいう。代表家紋は「桐紋」「梅鉢紋」「四つ目紋」。【出典】【家紋のデータ】  

# 大和国宇陀郡の国人。興福寺国民。沢城(奈良県宇陀市榛原)に拠り、戦国時代の初期には伊勢国の国司北畠氏に属したが、のちに同地が松永久秀の支配下に入ったため伊賀国に追放された。【出典

# 大和国宇陀郡の国衆。興福寺国民。南北朝時代には南朝に属して、伊勢国北畠氏に属した。戦国時代には沢城(奈良県宇陀市榛原)に拠って宇陀郡の国人として活躍したが、松永久秀の支配下に入ったため伊賀国に追放された。しかし、松永久秀の没落で宇陀郡に復帰して、本能寺の変後には豊臣秀吉に仕えて、蒲生氏郷の与力になった。氏郷が会津に移封となった際には従わず、子孫は津藩士。【出典

# 「沢」のつく名字

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