大中臣氏 | |
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■ 大中臣氏: 「大中臣」の名字の由来
# 大中臣(おおなかとみ)氏
・ 中臣氏の後裔氏族で、天児屋(根)命を始祖とする。中臣氏は、中臣常磐大連公の子の可多能?に御食子・国子・糠手子の三人の子があり、分かれて三門となった。第一門の御食子の子が天智天皇八年(669年)十月に藤原姓を賜った鎌足で、第二門の国子の系統からは神祇伯の意美麻呂・清麻呂らが出た。中臣氏の本姓は連で、天武天皇十三年(684年)十一月に朝臣姓を賜ったが、一族は鎌足の子孫にならって藤原(葛原)朝臣を称するようになった。しかし続日本紀の文武天皇二年(698年)八月丙午条には「藤原姓は、不比等の系統だけに許される」とあり、その他はすべて旧姓の中臣に復するようになった。その後、意美麻呂の子の清麻呂が大中臣朝臣の姓を賜った。【出典】
【姓:真人・朝臣・宿禰・忌寸・道師・臣・連。直・臣・使主・君・公などの詳細】