「原田」の名字の由来
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■ 原田(はらだ)

【2023/01/06:改編】

# 52位

# 51位【出典

# 第52位 約29万人【明治安田生命ランキング2008

# 第49位 約29万人【明治安田生命ランキング2013

# 第51位 約29万人【明治安田生命ランキング2018

# 全国順位(森岡浩ランキング):52 位

# 代表家紋

# 原の中にある田、田のある原っぱなどの地形由来の地名から生まれた。

# 地名姓で各地にルーツ地があるが、山陽地方から九州地方に多く見られる。【出典

# 筑前国の原田氏は恰土郡原田(福岡県糸島市)をルーツとする。藤原純友の追捕使の大蔵春実の末裔と伝える。【出典

# 遠江の原田氏は遠江国佐野郡原田(静岡県掛川市)をルーツとし、藤原南家工藤氏の一族。

# 日向の原田氏は日向国諸県郡原田郷(宮崎県えびの市原田)をルーツとし、清和源氏救仁院(くにいん)氏の庶流

# 摂津の原田氏は摂津国豊島郡原田荘(大阪府豊中市)をルーツとする。

# 美作の原田氏は美作国原田郷(岡山県津山市くめ)をルーツとする。

# 薩摩の原田氏は薩摩国揖宿郡原田(鹿児島県指宿市)をルーツとする。

# 原田からでた名字: 三原

# 筑前国戦国大名。筑前国怡土郡原田(福岡県糸島市)発祥。藤原純友の追補使の大蔵春実の末裔という。平安時代末期に、原田種直は平家方に属して大宰権少弐となり、平家の大宰府落ちに際して2000騎で供奉していた。鎌倉時代、少弐氏のもとで雌伏していたが、南北朝時代から再び台頭。室町時代には筑前国の有力国人になった。戦国時代には、大内氏毛利氏と結んで大友氏と対抗したが、信種のときに豊臣秀吉に敗れて所領を没収された。【出典

# 尾張国春日井郡の国人常陸国の出で、もとは塙氏といい、斯波氏に仕えて尾張国春日井郡山田荘に移ったという。重友(直政)ははやくから織田信長に仕え、尾張国大野木を領した。1569年の北伊勢攻めの際に原田直政の名がみえる。1574年に真木島城主になった。翌年の長篠合戦で活躍して、信長から原田氏を与えられた。1576年の石山合戦で討ち死に。子の安友は佐々成政を経て、豊臣秀次に仕え、秀次の失脚で牢人。関ヶ原の合戦では東軍の田中吉政に属したが仕官できず、のちに江戸に出て小児科医になった。【出典

# 阿波国阿波郡の国人陸奥国発祥という。鎌倉時代末期に阿波国に来国し、守護小笠原氏に仕えた。のちに山野上城(徳島県阿波市市場町山野上)・原田城(徳島県阿波市土成町)に拠り、三好氏に従った。【出典

# 岩手県の原田家

# 群馬県の原田家

# 新潟県の原田家

# 富山県の原田家

# 長野県の原田家

# 静岡県の原田家

# 兵庫県の原田家

# 福岡県の原田家

# 佐賀県の原田家

# 俳優の原田芳雄は東京都の出身。俳優の原田大二郎は神奈川県横浜市の出身。あのねのねの原田伸郎は京都府京都市の出身。演歌歌手の原田悠里は熊本県天草市の出身。女優の原田美枝子は東京都の出身。歌手の原田真二は広島県広島市の出身。女優の原田知世は長崎県長崎市の出身。ネブチューンの原田泰造は広島県広島市の出身。

【新編日本姓氏辞典】千葉琢穂編著 展望社 より

# 「菅原道真、太宰権帥に遷り、筑紫にありて二子をもうく、兄を前田と称し、弟を原田」という。その後、前田某は尾張国に移り住す。

【一個人 2013年12月号】

# 原田(51位)

・ 九州北部を中心に分布する他、愛知県や山形県に多い。

・ 筑前国の原田氏は筑前国御笠郡原田をルーツとする。渡来系大蔵氏の一族。平安時代から戦国時代まで九州北部で勢力を持ち、江戸時代には会津藩士

・ 三河国徳川家に仕えた原田氏は大蔵氏という説と桓武平氏三浦氏の出という説がある。

・ 伊豆国の原田氏は藤原為憲流工藤氏の出。

【名字の謎学 博学こだわり倶楽部編 KAWADE夢文庫】

# 原田

・ 開墾した田を意味する、「墾田(はるた)」を語源とする。

・ 筑前国御笠郡原田邑をルーツとし、大蔵氏庶流

・ 美作国久米郡原田村をルーツとし、桓武平氏の出。

# 「原」の語源

# 国衆(国人)

# 「田」の漢字の持つ意味

# 「田」のつく名字

# 「原」のつく名字

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