「堀内」の名字の由来
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■ 堀内(ほりうち)

【2023/05/22:改編】

# 全国順位(森岡浩ランキング): 267位
・ 全国密度順位(森岡浩ランキング): 山梨県 > 長野県 > 奈良県
・ 全国人口順位(森岡浩ランキング): 長野県 > 山梨県 > 東京都

# 259位【知っておきたい家紋と名字 別冊宝島】

# 代表家紋

# 山梨県から長野県にかけてと奈良県に多くみられる。

# 長野県と山梨県をあわせると、堀内姓の約2割をしめ、また周辺の都県を合わせると半数以上にのぼる。

# 遠江の堀内家は遠江国城飼郡堀ノ内(静岡県菊川市)をルーツとし、清和源氏小笠原流。

# 遠江の堀内氏は遠江国浜名郡堀内村(静岡県浜松市)をルーツとする。

# 紀伊国戦国大名出自清和源氏や熊野別当氏など諸説があり不詳寛政譜では、藤原氏師尹流に掲載されていた。代々、熊野に住んだ土豪で南紀に大きな勢力を持った。戦国時代、氏善は織田信長豊臣秀吉に仕え、紀伊国新宮で2万7000石を領したが、関ヶ原の合戦では西軍に属して所領を没収された。子の氏久は大坂の陣で大阪城の落城の際に千姫を守って坂崎直行に渡したことから徳川秀忠に召し出されて旗本。【出典

# 山形県の堀内家 

# 神奈川県の堀内家

# 富山県の堀内家

# 長野県の堀内家

# 堀内(ほりのうち):  静岡県駿東郡小山町竹之下堀ノ内?

# 堀内氏善: 熊野新宮別当の家系の堀内氏善は、信長に仕えた。関ヶ原の戦いでは西軍に属し、敗戦で蟄居。子は大坂の陣豊臣方に属したが、千姫救出の功で旗本となった。【江戸の殿さま 全600家 八幡和郎 講談社】

# 国衆(国人)

# 山形県内の「堀内」の名字の詳細

# 富山県内の「堀内」の名字の詳細

# 長野県内の「堀内」の名字の詳細

# 静岡県内の「堀内」の名字の詳細

■ 堀之内(ほりのうち)

【2022/02/01:新載】

# 鹿児島県から宮崎県南部にまとまってみられる。とくに鹿児島県川内市(現薩摩川内市)や宮崎県都城市に多く見られる。【出典

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