「宇久」の名字の由来 | |
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■ 宇久(うく)
【2022/10/28:改編】
# 17408位
# 全国に約300人
# 沖縄県:821位など。100人と全国の約1/3は沖縄県にいる。
# 肥前国松浦郡宇久島(五島列島の宇久島)をルーツとし清和源氏の武田氏流。南北朝時代に福江島に移り住み、後に五島氏を名乗った。
# 沖縄県をルーツとする宇久氏もいる。
# 長崎県の宇久家
# 宇久島(うくじま): 旧肥前国。古代には有救島と見える。五島列島北端の宇久島に位置する。古来、中国や朝鮮への交通の要所として知られる。【出典】
・ 有救島: 長崎県宇久町。平安時代に肥前国松浦郡にみられる地名。
・ 宇久城(うくじょう): 山本館とも呼ぶ。中世の居館名。北松浦郡宇久町平(たいら)郷に所在したが位置は不明。中世期に宇久島で成長し、後に五島列島のほぼ全域(現小値賀町を除く)を征覇し、近世において五島藩を形成することになった宇久氏(五島氏)の系譜によると、宇久氏初代は平家盛を名のり文治3年宇久島に上陸して土着豪族を従え、山本に館を構えたといい、これを山本館と称している。なお、宇久島には中心部の城ケ岳に規模の大きい中世山城があって、これも宇久氏に関する遺跡と思われる。平家滅亡直後、当地方は小値賀島の領有をめぐって松浦一族と清原一族が相争う不安定な状態にあったが、宇久氏は着実にその勢力を蓄え、正治2年には上有川・下有川の一揆を平定するまでに成長している。平郷には山本の小字があって、山本館はおそらくこのあたりに構築されたものと推測されるが、現在その付近にはそれらしき遺構は全く存在しない。【出典】
# 宇久田(うくだ): 沖縄県。方言でもウクダという。沖縄本島中部、比謝川中流域に位置する。隣接する大工廻(だくじやく)とウクダ・ダクザクと併称される。【出典】
# 宇久(うく): 福井県小浜市宇久、山口県阿武町宇久。
・ 「うき」とも言い、「浮」の字をあてたように、「水の上に浮いている土地」の意味で、低湿地のこと。「浮」を二字化した。【出典】
# 国衆(国人)
# 「久」のつく名字
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