「波多」の名字の由来
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■ 波多(はた)

【2022/11/04:新載】

# 古代豪族の波多氏は、大和国高市郡波多郷(奈良県高市郡高取町)をルーツとする。武内宿禰(たけうちしゅくね)の子孫という。【出典

# 信濃国の波多氏は大和の巨勢氏の子孫。室町時代に筑摩郡に転じ、波田郷(長野県東筑摩郡波田町)に住んだ。【出典

# 肥前の波多氏は嵯峨源氏の出。源久の二男の持が松浦郡波多郷を与えられて波多氏を称した。松浦党の一員で、文明年間に波多秦は壱岐全島を支配していた。1575年に親のときに龍造寺氏の配下となり、1587年に豊臣秀吉に従って岸岳で八万石を領した。のちに改易になった。【出典

# 現在は、中国地方から北九州にかけてと、新潟県に多く見られる。【出典

# 肥前国戦国大名嵯峨源氏松浦党の一つ。源久の二男の持が松浦郡波多郷(佐賀県唐津市)を与えられて波多氏を称した。松浦党の一員で、文明年間に波多泰は壱岐全島を支配していた。1575年に親(信時)のときに龍造寺氏の配下となり、1587年に豊臣秀吉に従って岸岳城(唐津市)で8万石を領した。文禄の役では朝鮮に出兵したが、1594年に秀吉の怒りにふれて改易となった。【出典

# 信濃国筑摩郡の国人。大和国の古代豪族巨勢氏末裔という。室町時代に、筑摩郡に転じ、波多郷(長野県松本市)に住んだ。【出典

# 波多家(はたけ): 家紋「二つ引両に三つ星紋」
・ 肥前国松浦郡岸岳(佐賀県唐津市)を本拠地とした。
・ 肥前国の松浦氏の一族。朝鮮出兵に際し、秀吉の勘気をこうむって改易となる。【戦国大名「御家」系譜事典 宝島社 監修:森岡浩】

# 長崎県の波多家 

# 「波・浪」のつく名字。 

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