巨勢氏 | |
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■ 巨勢(こせ)氏: 「巨勢」の名字の由来
・ 許勢、居勢、己西とも書いた。
・ 建内宿禰の子の許勢小柄宿禰を祖とする。
・ 姓(かばね)は「臣」
・ 「巨勢」の地名
# 巨勢
・ 許勢、居勢、己西とも書く。
・ 武内宿禰の後裔氏族の一つで、姓は臣、後に朝臣。許勢小柄宿禰を祖とする。
・ 巨勢の氏名は大和国高市郡巨勢郷(奈良県御所市古瀬)をルーツとする。
・ 許勢臣猿は、崇峻天皇4年(591年)に任那再興のための大将軍として筑紫に出陣した。
・ 許勢臣大麻呂は推古天皇が没したのちに、皇位継承をめぐって山背大兄王を推した。
・ 壬申の乱では近江軍の将となった巨勢臣人(比等)がいた。
・ 巨勢氏の部民と考えられる巨勢部は、出雲、播磨、讃岐、阿波、筑前、筑後など西日本の諸国にみられる。
・ 奈良時代には一族から多くの高位・高官をだした。
・ 巨勢氏の同族として、「古事記」の孝元天皇段に「許勢小柄宿禰者。(許勢臣。雀部臣。軽部臣之祖也)」とある雀部臣(後に朝臣)・軽部臣(後に朝臣)、「新撰姓氏録」に載る巨勢ひ田朝臣、巨勢ひ大臣、鵜甘部首の各氏がある。
【出典】
# 古代豪族の大和の巨勢氏はのちに関東に転じ、この一族が内田牧(長野県松本市)を管理し、信濃国筑摩郡波多郷(長野県波田町)に住んで波多氏を称した。【長野県の波多家】
【姓:真人・朝臣・宿禰・忌寸・道師・臣・連。直・臣・使主・君・公などの詳細】