「松浦」の名字の由来
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■ 松浦(まつうら、まつら)

【2019/03/06:改編】

# 149位

# 150位【知っておきたい家紋と名字 別冊宝島】

# 蝦夷安倍氏、嵯峨源氏_渡辺流などにみられる。

# 「松」の字は縁起が良い、その理由とは

# 代表家紋

# 松浦(まつら)氏: 立ち梶の葉紋。支流には「波多」「鶴田」「馬場」「伊万里」「佐志」「有田」「御厨(みくりや)」「山代」「平戸」などがある。【あなたの起源を読み解く 名字の世界 インデックス編集部 イースト新書Q】

# 肥前国松浦郡をルーツとする。

# 昔は「まつら」読みでしたが、現代の「まつら」読みの「松浦」さんているのかなぁ?

# 中世の肥前国水軍の松浦党の一族で、渡辺氏の祖である渡辺綱(つな)の孫の久(ひさし)が肥前国松浦郡に移り住んだことに由来する。「松浦(まつら)」は昔は「末廬」と書いた。
・ 松浦党: 鎌倉時代から戦国時代にかけて、九州北部にみられた水軍。松浦党は嵯峨源氏の渡辺党の一族がこの地に住み着いたもの。

# 沖縄県を除く全国に分布し、特に静岡県、島根県、広島県、宮崎県などに多くみられる。

# 松浦から派生した名字には、「波多」「鶴田」「馬場」「伊万里」「佐志」「有田」「御厨(みくりや)」「山代」「平戸」などがある。

# 山形県鶴岡市小淀川に旧家の松浦家がある。戦国時代は最上家の家臣で江戸時代には帰農した。

# 明治天皇の生母の中山慶子の母親は、松浦家から公家中山家に嫁いできた。

# 佐賀県唐津市から長崎県平戸にかけては、以前は「松浦(まつら)」と呼ばれ、松浦党という武士の集団がいた。
・ 上松浦: 唐津周辺。嵯峨源氏の子孫と称す。渡部綱の孫の久(ひさし)の子孫が肥前国の宇野御厨(うのみくりや)の役人になって下ってきて勢力を広げた。
・ 下松浦: 平戸島周辺。陸奥国_安倍氏の子孫と称す。前九年の役で破れた安倍貞任の弟の宗任が肥前国に流されたのに由来する。
後に、平戸島の松浦家が松浦の地域を統一した。

# 松浦家(まつらけ): 家紋「松浦星紋」

・ 肥前国松浦郡平戸(長崎県平戸市)を本拠地とした。

・ 嵯峨源氏の渡辺氏の出で、肥前国松浦郡に下向して松浦氏を称した。戦国時代末期には豊臣秀吉に従い、江戸時代には平戸藩主(6万3千石)を世襲した。【戦国大名「御家」系譜事典 宝島社 監修:森岡浩】

# 山形県の松浦家: 西田川郡小淀川(山形県鶴岡市小淀川)の旧家。戦国時代には最上家の家臣で江戸時代に帰農した。 

# 福島県の松浦家: 石川郡山白石村(福島県石川郡浅川町)の旧家で代々庄屋を務めた。

# 大阪府の松浦家: 和泉国の出の松浦(まつら)久信は豊臣秀吉の家臣で、伊勢国の井生(いう)1万石だったが、関ヶ原の戦いの前哨戦の大津城攻撃中に討ち死に。 

# 長崎県の松浦(まつら)家: 平戸藩主嵯峨源氏の出で、中世の水軍の松浦党。【家紋:平戸梶明治維新には伯爵

・ 嵯峨源氏渡辺氏の出。肥前国に転じ、多くの分家を出し、平安時代の末期に松浦党を組織した。松浦隆信は庶流の出だが、嫡流を廃し戦国大名となる。のちに、豊臣秀吉に従い、江戸時代には平戸藩主。【出典

# 長崎県の松浦(まつら)家: 平戸新田藩主。 

# タレントの松浦亜弥は兵庫県姫路市の出身。エイベックスの松浦勝人は神奈川県横浜市の出身。フランス文学者の松浦寿輝は東京都の出身。

【苗字の謎が面白いほどわかる本 丹羽基二】より

# 「まつら」「まづら」と読み、末羅から転じた。後に「まつうら」読みとなった。

# 肥前国松浦郡をルーツとし、物部氏族末羅国造

# その他、陸奥国の安倍氏族、佐々木氏族などがある。


# 「松浦」の地名の由来・「松浦」の語源

# 松浦静山

# 平戸藩 ・ 平戸新田藩

# 国衆(国人)

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