「渡辺」の名字の由来 | |
【参考資料・文献】 | 【利用上の注意】 |
名字の由来のTop | 地名の由来のTop |
名字と地名のMenu | 「らわ」行の名字 |
スポンサーリンク |
スポンサーリンク |
■ 渡辺(わたなべ)
【2023/05/23:改編】
# 5位【第一生命ランキング】
# 5位【出典】
# 嵯峨源氏
# 全国に約115万人
# 第5位 約120万人【明治安田生命ランキング2008】
# 第5位 約119万人【明治安田生命ランキング2013】
# 第5位 約119万人【明治安田生命ランキング2018】
# 全国約118万人【道産子のルーツ事典 岸本良信 中西出版】
# 全国順位(森岡浩ランキング): 5位
# 全国密度順位(森岡浩ランキング): 山梨県 > 福島県 > 新潟県
# 全国人口順位(森岡浩ランキング): 東京都 > 神奈川県 > 新潟県
# 代表家紋
# 発祥は淀川下流の地名渡辺(渡船口)摂津国西成郡渡辺(大阪府大阪市)からで、嵯峨源氏の子孫が宮廷を離れて武士化してここに住み着いて渡辺を名乗った。そもそも、嵯峨源氏は平安時代初頭の嵯峨天皇が、母親の身分の低い子供に「源」姓を与えたのに始まるが、その後代を重ねるに連れて天皇家から疎遠となり武士化したもののようだ。
・ 摂津国の渡辺津を本拠地とした渡辺党は水軍としての軍事力に富み、源平の戦いでは活躍し、東海地方から九州地方まで広がった。
# 伊予国宇和郡の国衆。川後森城(愛媛県北宇和郡松野町松丸)に拠って、室町時代には宇和郡北部一帯を支配したという。戦国時代には伊予国の西園寺氏に従い、土佐一条氏の出の教忠が渡辺氏を継いだが、家臣に叛かれて城を追われた。【出典】
# 「渡津(わたつ)の付近」に由来する。「わた」とは古語で「海」を意味し、「津」は港のこと。
・ 渡辺: 大阪府大阪市中央区久太郎町四丁目渡辺三号に渡辺の地名の名を残す。
# 渡辺=「渡しの辺り(あたり)」【出典】
# 全国に分布するが、どちらかと言えば東日本の名字。
# 山梨県では最多姓で、その他福島県や新潟県に多い。山梨県南都留郡旧足和田村(現富士吉田市)では人口の26%が渡辺姓。
# 少ない方を上げると、〜佐賀県:52位、徳島県:67位、鹿児島県:68位、石川県:83位、和歌山県:193位、沖縄県:487位。
# 発祥は淀川下流の地名渡辺(渡船口)摂津国西成郡渡辺(大阪府大阪市)からで、嵯峨源氏の子孫が宮廷を離れて武士化してここに住み着いて渡辺を名乗った。
# 「わたなべ」という名字には「渡辺」「渡邉」「渡邊」「渡部」など多くの字体があてられるがこれらのルーツは同じだが一部「渡し場」をルーツとした「渡部」なども見られる。
# 渡部: 渡って来た部族を意味するという説もあるらしい。
# 渡辺から派生した名字には、「松浦」「山代」「蒲池(かまち)」などがある。
# 宮城県の渡辺家
# 群馬県の渡辺家
# 新潟県の渡辺家
# 富山県の渡辺家
# 石川県の渡辺家
# 長野県の渡辺家
# 静岡県の渡辺家
# 愛知県の渡辺家
# 大阪府の渡辺家
# 兵庫県の渡辺家
# 和歌山県の渡辺家
# 江戸時代後期の画家の渡辺崋山は三河国の田原藩の出身。俳優の渡辺徹は栃木県小山市の出身。歌手の渡辺はま子は神奈川県横浜市の出身。政治家の渡辺(渡邉)美智雄は栃木県大田原市の出身。俳優の渡辺文雄は東京都千代田区の出身。女優の渡辺美佐子は東京都港区の出身。サックスプレーヤーの渡辺貞夫は栃木県宇都宮市の出身。作家で医師の渡辺淳一は北海道上砂川町の出身。俳優の渡辺篤史は茨城県下妻市の出身。女優の渡辺えりは山形県山形市の出身。俳優の渡辺裕之は茨城県水戸市の出身。タレントの渡辺正行は千葉県いすみ市の出身(余談だが、いすみ鉄道の車内アナウンスで渡辺正行の実家が紹介されるらしい)。歌手の渡辺(渡邉)真知子は神奈川県横須賀市の出身。スケートの渡部絵美は東京都の出身。俳優の渡辺謙は新潟県魚沼市小出の出身。俳優の渡辺いっけいは愛知県豊川市の出身。女優の渡辺めぐみは神奈川県横須賀市の出身。女優の渡辺典子は大分県大分市の出身。プロ野球の渡辺久信は群馬県桐生市の出身。歌手の渡辺美里は京都府出身。アナウンサーの渡辺真理は神奈川県横浜市の出身。タレントの渡辺美奈代は愛知県北名古屋市の出身。歌手の渡辺満里奈は東京都大田区の出身。
# 渡辺姓が広まった理由
・ 渡辺綱: 嵯峨源氏の出で、源満仲の婿である敦の養子になった綱の養母が摂津国渡辺郷に住んでいたので、その地名をとった。綱が渡辺党を作り、一族郎党が増えた。
・ 渡辺の地に坐摩(いかすり・ざま)神社があり、ここの宮司が渡辺氏の末裔。
【渡辺】
・ 渡部・渡那部に通用することがある。
・ 嵯峨源氏第五代源次別当綱(つな)が、渡辺をもって家号とす。摂津国西成郡渡辺発祥。
【東北地方の苗字おもしろこぼれ話】鈴木常夫著 本の森 より
# 福島県の会津地方に多い「渡部(わたべ・わたぶ)」は、上杉氏に従って越後から来た鉄砲鍛冶と言われ、後に米沢にも移動した。
# 愛知県の渡辺氏(1): 三河国碧海郡の国人で嵯峨源氏の渡辺党。足利将軍家に仕えて三河国碧海郡占部(愛知県岡崎市)に移り住み、後に松平家に仕えた。徳川家康の関東入国に際して武蔵国比企郡で3千石を知行した。後に尾張藩の付家老で1万4千石。紀州藩の家老の渡辺家も同族。【出典】
# 愛知県の渡辺氏(2): 三河国八名郡の国人で松平家に仕え、江戸時代には旗本で700石(後に交代寄合で2500石)。【出典】
# 山梨県の渡辺氏: 甲斐国都留郡の国人で甲斐国八代郡本栖(山梨県南都留郡富士河口湖町本栖)に住み武田家に仕えた。武田家が滅亡後、徳川家に仕え、江戸時代には旗本(630石)。【出典】
# 広島県の渡辺氏(1): 備後国沼隈郡の国人で足利将軍家に仕えて備後国沼隈郡山田荘(広島県福山市)の地頭を務めた。戦国時代には毛利氏に属し、江戸時代には長州藩士。【出典】
# 広島県の渡辺氏(2): 安芸国高田郡の国人。鎌倉時代に毛利氏に仕え、毛利氏が安芸国に下向したのに従って移り住んだ。【出典】
# 愛媛県の渡辺氏: 伊予国宇和郡の国人。室町時代には宇和郡の北部を支配し、戦国時代には伊予の西園寺氏に従った。【出典】
# 大分県の渡辺氏: 豊後国速見郡の国人。足利義満に仕え、後に九州探題となった今川了俊に従って豊後国に移り住んだ。その後、大友氏に従い、大友氏が滅んだ後は帰農した。【出典】
# 渡辺(わたなべ): 奈良時代から摂津国西成郡(大阪府大阪市)にみられた地名で、渡部とも書く。地名は、天満川の両岸を結ぶ渡津があったことにちなみ、当地は、渡辺の渡し・浪速の渡し・国府の渡し・窪津・大江の渡しとも称された。「古事記」神武天皇条に、神武東征軍が「浪速の渡を経て、青雲の白肩津に泊てたまひき」とあり、同じく応神天皇条によれば、新羅の国主の子、天之日矛が、逃げた妻を追ってきたところ、「難波に到らむとせし間、其の渡の神、塞へて入れざりき」という。平安期に、摂津国の国府が置かれたのは、現在の大阪市の東区石町付近と推定され、この一帯は、古来渡辺と称され、難波における政治・交通の要地であった。ゆえに当地は、国府の渡しとも称されるようになった。現在の北区・福島区および東区などの広い地域に比定される。【出典】
# 変則○丁目○番地○号
大阪府大阪市中央区久太郎町四丁目渡辺3号。ここは「坐摩(いかすり)神社」。ここは「渡辺」の名字の発祥の地で、元は大阪市東区渡辺町だった。昭和63年に東区と南区が合併して中央区になるときに、「渡辺」の町名が消えようとした。しかし、坐摩神社の宮司が「全国渡辺会」の支援を得て大阪市に陳情。特例措置として「○番地」の部分を「渡辺」として地名を残した。
# かつてあった「渡辺」の地名: 東京市豊多摩郡淀橋町大字角筈字渡辺土手際。さてどこだかわかりますか?「東京都 淀橋」でなんとなくわかるでしょうが、ここは新宿駅のかつての住所です。
# 「渡辺」の地名
# 「渡辺」橋駅
# 渡辺家
# 伯太(はかた)藩
# 外部リンク集: 【衝撃事実】全国の渡辺さんは節分で豆まき不要! 伝承により証明されている。
都道府県毎の名字の特徴 | 名字の様々な区分 |
難読名字 | 難読地名・珍地名 |
地名と災害 | 名字の博物館 |
名字と地名・都道府県編 | 民俗学の広場内の検索 |
■ このサイトで使用している「名字の順位」「全国の概算数」「都道府県毎の順位」などについてはこちらを御覧下さい。【詳細】