足利義満
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■ 足利義満(あしかがよしみつ)【出典】: 「足利」の名字の由来

# 1358ー1408年。享年51歳(病死)。

# 出身地: 京。

# 肩書き: 室町幕府の三代将軍。

# 家族: 父:足利義詮。

# 父の足利義詮が病で死去すると、10歳の義満が1368年に三代将軍になった。幕政は、管領細川頼之をはじめ、足利派の守護大名がとりおこない、義満はその中で政治を学んだ。22歳になった義満は、将軍の権力を高めようとした。細川氏斯波氏の幕府内の抗争を利用して、人事に変えることで権力の集中を防いだ。また、有力な守護大名の土岐氏に内紛が起きると、それに乗じて土岐氏を討伐した。これを土岐康行の乱という。1391年には11カ国の守護を兼ねていた山名氏が内紛を起こすと、介入しに山名氏清に挙兵するようにし向けて討伐した。これを明徳の乱という。これに協力したのが守護大名の大内義弘である。義満のもうひとつの懸案は南北朝問題だった。義満は、ここでも大内義弘を使って、和睦を進めた。そして、1392年に南北朝を合一させた。義満は1394年に将軍職を嫡男の義持に譲ったが、同年太政大臣にのぼり、実権を持ち続けた。大内義弘は足利家に忠節を誓っており、義満が出家すると翌年に義弘も出家した。しかし、義満にとっては勢力を拡大している義広を脅威に感じ、義満は義弘を挑発して、挙兵するまでに追い込んだ。1399年に、義弘は義満の大軍を相手に奮戦したが討ち取られた。これを応永の乱という。


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