「渡辺」の地名の由来
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■ 渡辺(わたなべ): 栃木県那須塩原市渡辺
・ 那須野ケ原台地の北東部に位置する。明治20年頃、旧信州高島藩士で政府高官の渡辺千秋(伯爵)が官有原野の貸下を受けた開拓地で、いわゆる那須野ケ原大農場の1つ。一般に渡辺開墾と呼ばれ、市制町村制施行の際大字名となった。【出典

■ 渡辺(わたなべ): 摂津国(大阪府大阪市)。大阪府大阪市中央区久太郎町四丁目渡辺3号。
・ 奈良期から見える地名。摂津国西成(にしなり)郡のうち。渡部とも書く。地名は、天満川の両岸を結ぶ渡津があったことにちなみ、当地は、渡辺の渡し・浪速の渡し・国府の渡し・窪津・大江の渡しとも称された。「古事記神武天皇条に、神武東征軍が「浪速の渡を経て、青雲の白肩津に泊てたまひき」とあり、同じく応神天皇条によれば、新羅の国主の子、天之日矛が、逃げた妻を追ってきたところ、「難波に到らむとせし間、其の渡の神、塞へて入れざりき」という。平安期に、摂津国の国府が置かれたのは、現在の大阪市の東区石町付近と推定され、この一帯は、古来渡辺と称され、難波における政治・交通の要地であった。ゆえに当地は、国府の渡しとも称されるようになった。【出典

■ 渡辺坂(わたなべざか): 東京都新宿区

■ 渡辺三新田(わたなべさんしんでん): 新潟県
・ 旧地名。荒川支流烏川と乙大日川の間の平坦地。地名は、江戸後期、渡辺新田・紀伊国新田・長政新田の3新田を渡辺三左衛門が所持していたことに由来する。【出典

■ 渡辺新田(わたなべしんでん): 新潟県三条市
・ 江戸期〜明治19年の新田名。蒲原郡のうち。渡部新田とも書く。西川左岸。安永8年検地を受け成立。井田村庄屋渡辺五右衛門の開発により、地名も開発者名に由来する。当新田はのち大戸村庄屋諸橋家の保有地となり、同氏が庄屋を兼帯した。はじめ幕府領、慶応元年からは会津藩領。【出典

■ 渡辺新田(わたなべしんでん): 新潟県
・ 江戸期〜明治8年の新田名。岩船郡のうち。荒川支流烏川と乙大日川(旧胎内川)の間の平坦地。もと入出野の一部。文化10年紀伊国新田・長政新田を買い請けた下関村(関川村)渡辺三左衛門が、文政2年両新田地先の草生・萱野・秣場45町余の開発を願い出、開発された新田。文政9年渡辺新田と称することを許された。はじめ幕府領、文久元年村上藩領、同2年幕府領、同3年からは会津藩領。【出典

■ 渡辺通(わたなべどおり): 福岡県福岡市中央区渡辺通
・ 当時の新柳町〜天神町までの道路は創設者の名にちなんで渡辺通と名付けられ、通称町名として使われた。【出典

■ 渡辺村(わたなべむら): 福島県いわき市渡辺町
・ 明治22年〜昭和29年の村名。浜通り南部、釜戸川流域に位置する。【出典

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