「有田」の名字の由来 | |
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■ 有田(ありた)
【2022/12/12:新載】
# 肥前国松浦郡の国人。松浦郡有田(佐賀県西松浦郡有田町)発祥。嵯峨源氏の松浦党の一族で、源直の三男の栄が祖という。唐船城(有田町)に拠った。1540年に十五代の政のときには平戸の松浦弘定に敗れて落城した。その後、有馬氏と結んで松浦氏に対抗したが、1577年に盛のときに龍造寺隆信に敗れて、その家臣になった。
# 播磨国多可郡の野間城(兵庫県多可郡多可町八千代区)城主。村上源氏の赤松氏の庶流で「在田」とも書く。戦国時代に落城したが、元亀年間とも永禄年間とも天正三年(1575年)ともいい不詳。相手も、浦上氏とも別所氏ともいう。【出典】
# 肥前国松浦郡有田(佐賀県西松浦郡有田町)の国衆。嵯峨源氏の松浦党の一族で、源直の三男の栄が祖という。建保6年(1218年)に唐船城(佐賀県有田町山田牧)を築いたという。天文9年(1540年)に十五代の政のときに平戸の松浦弘定に敗れて落城した。その後、有馬氏と結んで松浦氏に対抗したが、天正5年(1577年)の盛のときに龍造寺隆信に敗れて、家臣になった。盛ののちには、龍造寺信周(隆信の弟)の子の茂成が継いで、江戸時代には佐賀藩士。【出典】
# 「ありた」の語源。
# 「田」のつく名字。
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