長崎県内の「松浦」の名字の詳細
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■ 松浦(まつら): 長崎県の松浦(まつら)家 

# 長崎県の松浦(まつら)家: 平戸藩主嵯峨源氏の出で、中世の水軍の松浦党。【家紋:平戸梶明治維新には伯爵

・ 嵯峨源氏渡辺氏の出。肥前国に転じ、多くの分家を出し、平安時代の末期に松浦党を組織した。松浦隆信庶流の出だが、嫡流を廃し戦国大名となる。のちに、豊臣秀吉に従い、江戸時代には平戸藩主。【出典

・ 平戸藩主嵯峨源氏の出で、正しくは「まつうら」ではなく「まつら」と読む。肥前の戦国大名松浦氏末裔。肥前国松浦郡に広がった松浦党は、大きく宇野御厨を中心とする下松浦党、松浦荘を中心とする上松浦党、五島列島に広がった宇久党の三つに分かれ、室町時代には各氏族が党を離れて割拠するようになり、抗争を繰り返した。永禄年間に平戸松浦家の隆信が松浦党を統一し、1571年には壱岐も支配した。鎮信のときに豊臣秀吉に仕え、1587年には支配地域の6万3000石が安堵された。関ヶ原の合戦では東軍に属して本領を安堵された。江戸時代には平戸に居城、壱岐や五島列島の小値賀島・中通島も領していた。表高は6万3200石ながら、幕末には実質13万石あったという。明治時代には伯爵。【出典

# 長崎県の松浦(まつら)家: 平戸新田藩主。 

・ 平戸新田藩主。松浦鎮信の二男の昌が1689年に本藩から1万石を分知されて、平戸新田藩を立藩した。1870年に廃藩して本藩に統合。明治時代には子爵。【出典】 

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