「多羅尾」の名字の由来
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■ 多羅尾(たらお)

【2023/05/22:改編】

# 近江国甲賀郡多羅尾(滋賀県甲賀郡信楽町多羅尾)をルーツとし、藤原北家の出。1303年に藤原師俊が多羅尾氏を称した。光俊のときに織田信長に従い、後に豊臣秀吉に仕えた。【出典

# 近江国甲賀郡の国衆藤原北家で、近衛経平の末裔という。代々、甲賀郡信楽荘多羅尾(滋賀県甲賀市信楽町多羅尾)に住んで、嘉元元年(1303年)に師俊が多羅尾氏を称した。光俊のときに、織田信長信長に従った。天正10年(1582年)の本能寺の変の際、光俊は甲賀武士を率いて徳川家康の伊賀越えを助けた。その後は、豊臣秀吉に仕えていたが、秀次に属したことから、文禄4年(1595年)に秀次に連座して信楽に蟄居した。慶長元年(1596年)に子の光太が徳川家康に召し出され、江戸時代には旗本。【出典

# 現在は、関西地方各地にみられる。【出典

# 滋賀県の多羅尾家

# 多羅尾(たらお): 滋賀県甲賀市信楽町多羅尾。甲賀郡の最南端,大戸(だいと)川の上流の谷沿いに位置する。甲賀53家の1つ多羅尾氏の発祥地。多羅尾家2代光太(法名浄顕)の菩提を弔うため、元和8年建立された浄土宗浄顕寺がある。多羅尾氏は近衛家基の庶孫で、嘉元4年、師俊のとき多羅尾氏と称した。【出典

# 「尾」のつく名字

# 「多」のつく名字

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