「信楽」の地名の由来
参考資料・文献 利用上の注意
名字の由来のTop 地名の由来のTop
名字と地名のMenu  
スポンサーリンク
スポンサーリンク

■ 信楽(しがらき): 滋賀県甲賀市信楽町

・ もとは「柵木(しがらき)」で砦の柵の一種。一説には洪水を防ぐための杭木ともいわれる。【出典】  

・ 「シ(石)」+「カラ(高くなった所)」+「キ(接尾語)」という地名か。【出典

・ 信楽: 「信楽」を「しがらき」と読む由来は不明。天平12年(740年)に聖武天皇はこの地に「紫香楽宮(しがらききゅう)」を造営したが、この地には良材が多いため「茂る木(しげるき)」が由来とする他、諸説有る。【出典

# 紫香楽: 聖武天皇が紫香楽宮を作る際に、良質の「繁る木」から「しがらき」となった。

・ 信楽駅(しがらきえき): 滋賀県甲賀市信楽町長野。信楽高原鉄道。古くは紫香楽と書いた。聖武天皇の離宮を紫香楽宮という。この地名を、京都府相楽郡の相楽を古くは「さがらき」と読んだことと関連付ける説もある。【出典

・ 信楽駅(しがらきえき): 滋賀県甲賀市信楽町。信楽高原鐵道(信楽線)。駅名は、駅が開設された当時の町名に因むが、町名は、狸の置物で知られる当地の特産品の信楽焼に因む。【出典

・ 信楽(しがらき): 信楽町(しがらきちょう)は昭和5年(1930年)に成立したが、平成16年(2004年)に、甲賀市の一部に編入された。「信楽」を、どうして「しがらき」と読むかは明解はない。奈良時代には「紫香楽」と書かれた。天平12年(740年)に、聖武天皇は、突然奈良を離れ、現在の京都府相楽郡加茂町に新しい都を作り始めた。これを「恭仁京(くにきょう)」と呼んだ。そして、その恭仁京から近江国甲賀郡紫香楽村に通じる道が開かれて、天皇はこの紫香楽村に離宮をつくることにした。しかし、紫香楽を京にしたものの、直後に宮まわりでしきりに火災が起こり、天皇は早々に平城京に戻ってしまった。聖武天皇は、後に東大寺に作ることになった大仏も、この紫香楽につくろうと考えたという。【出典

統計表示