「入来院」の名字の由来 | |
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■ 入来院(いりきいん)
【2023/05/23:改編】
# 薩摩国の名家の名字。薩摩国薩摩郡入来院(鹿児島県薩摩郡入来町)をルーツとし、桓武平氏の出。代々、入来院を領した土豪で、1569年に重嗣のときに島津氏に従った。1595年に重時は大隅国菱刈郡湯之尾(鹿児島県伊佐郡菱刈町)に移されたが、1613年に重高のときに再び入来院に戻った。【出典】
# 薩摩国の戦国大名。桓武平氏の渋谷氏の一族。宝治元年(1247年)の宝治合戦の恩賞として渋谷氏が薩摩国北部の地頭職を賜って、渋谷光重の五男の定心が薩摩郡入来院(鹿児島県薩摩川内市入来町)に住んで入来院氏の祖となって、以後は代々入来院を領した。南北朝時代以降、所領を拡大、室町時代には清色城(薩摩川内市)に拠って、足利将軍家直属の小番衆も務めた。戦国時代には川内川下流方面にまで進出して薩摩国を代表する戦国大名の一つになり、島津薩州家と対立した。永禄9年(1566年)には滅亡した祁答院氏の所領を併呑、永禄12年に重嗣が島津貴久に降って、その家臣になった。天正11年(1583年)に重豊が死亡すると、男子がいなかったため島津以久の子の重時が養子になって継ぎ、以後は島津氏の一門になった。【出典】
# 鹿児島県の入来院家: 薩摩藩の重臣で島津家の一門。薩摩国薩摩郡入来院(鹿児島県薩摩川内市入来町)をルーツとし、桓武平氏の渋谷氏の庶流。宝治合戦の功で薩摩国北部の地頭となり、戦国大名となったがのちに島津家に従った。【出典】
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