「小早川」の名字の由来
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■ 小早川(こばやかわ)

【2023/05/08:改編】

# 1773位

# 漢字三文字苗字ランキング: 49位

# 桓武平氏土肥流清和源氏大江氏などにみられる。

# 代表家紋

# 広島県と静岡県東部から神奈川県にかけてみられ、特に広島県呉市と静岡県沼津市に多くみられる。

# 広島県:321位、香川県:638位、島根県:676位など。

# 主なルーツ地: 相模国足柄下郡早川(神奈川県小田原市)をルーツとする。

# 鎌倉時代に桓武平氏良文流中村宗平の次男の実平が相模国土肥郷(神奈川県湯河原町)に居住し土肥実平を名乗った。実平の子の遠平(とおひら)が相模国足柄郡早川(土肥郷の北部・神奈川県小田原市)に住んだのを由来とする。

# 遠平は平氏討伐の恩賞として安芸国を拝領し、その孫の茂平(しげひら)と季平(すえひら)がそれぞれ、安芸国沼田庄(広島県三原市)と安芸国竹原庄(広島県竹原市)を領しニ家に分かれたが、後に毛利元就の三男の小早川隆景によって統一される。小早川隆景の家紋

# 他に、大江氏の子孫などにも見られる。

# 秋田県の小早川家

# 神奈川県の小早川家

# 広島県の小早川家

# プロ野球の小早川毅彦は広島県広島市の出身。

# 小早川家(こばやかわけ): 家紋「左三つ巴紋

・ 安芸国豊田郡沼田荘(広島県三原市周辺)を本拠地とした。

・ 小早川家は相模国足柄郡早川をルーツとする。源頼朝に仕えた土肥実平の子の遠平が小早川村に住んで小早川氏を称した。遠平は平氏の討伐の功で安芸国沼田荘の地頭となり、養子の景平が移り住んだ。戦国時代に家系が途絶えたので、毛利元就の三男の徳寿丸(小早川隆景)が跡を継いだ。【戦国大名「御家」系譜事典 宝島社 監修:森岡浩】

# 小早川からでた名字: 赤川

# 小早川(こばやかわ): 神奈川県。平安時代末期から鎌倉時代にかけて相模国足柄下郡にみられた地名で小早河とも書いた。鎌倉御家人小早川氏の名字の地で、「山槐記」治承4年9月7日条に、「伊豆国流人兵衛佐企謀叛合戦事、八月廿三日寄合輩〈相模国小早河〉」と見える。石橋山の合戦に平家方が陣を取ったところが小早川であり、同合戦がまた小早川の合戦ともいわれたことがわかる。現在の小田原市石橋付近に比定される。【出典

# 国衆(国人)

# 「川」のつく名字

# 「小」のつく名字

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