「粟屋」の名字の由来
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■ 粟屋(あわや)

【2022/12/19:新載】

# 若狭国武田氏の重臣。安芸国の粟屋氏と同族だと思われるが不詳戦国時代に、粟屋元隆は、新保山城(福井県小浜市)に拠った。関ヶ原の合戦の際、粟屋越中守は西軍に属し、没落した。【出典

# 安芸国毛利氏の家臣。常陸国発祥というが、安芸国高田郡粟屋郷(広島県三次市粟屋町)発祥か。代々、毛利氏に仕え、江戸時代には長州藩士として4915石を領した。徳山藩の家老の粟屋家も同族。【出典

# 若狭国国衆で若狭武田氏の重臣。安芸粟屋氏と同族だと思われるが不詳。永享12年(1440年)に若狭国の守護になった武田信栄に従って若狭に入ったとみられる。惣領家の右京亮家と、分家の左京亮家があり、右京亮家の親栄は、三条西実隆の源氏物語聴講生の一人として名がみえる。戦国時代、元隆は新保山城(福井県小浜市)に拠ったが、天文7年(1538年)に武田氏に叛いて敗れ、丹後国に逃れた。その後、国吉城(福井県三方郡美浜町)の粟屋越中守と、白石山城(福井県大飯郡高浜町)の粟屋右門大夫の二系統があったと見られる。国吉城を築いた勝久も永禄4年(1561年)に武田義統に叛旗を翻し、永禄11年に織田信長に本領を安堵された。のちに丹羽長秀の与力になって、本能寺の変の後には丹羽長秀の家臣になった。【出典】 

# 粟屋家 

# 「粟」のつく名字

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