「相良」の名字の由来
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■ 相良(さがら)

【2021/02/09:改編】

# 相良家の家紋

# 九州地方関東地方から福島県にかけて多く見られる。

# 遠江国佐野郡相良荘(静岡県牧之原市)をルーツとし、藤原南家の出。

# 藤原周頼(ちかより)が遠江国相良(静岡県牧之原市相良)を領して相良氏を称したのに始まる。相良家は鎌倉幕府御家人となり、肥後国多良木の地を与えられて肥後国に転じた。その後、相良家の一族が肥後国人吉荘の地頭となり、多良木の上相良と人吉の下相良に別れた。戦国時代には下相良家が勢力を拡大し江戸時代には肥後国人吉藩主2万2千石。

# 相良家(さがらけ): 家紋「長剣梅鉢紋」

・ 肥後国球磨郡人吉荘(熊本県人吉市)を本拠地とした。

・ 藤原南家の工藤周頼が平安時代に遠江国榛原郡相良荘に住んで相良氏を称した。建久4年(1193年)に、源頼朝に組しなかったことで肥後国球磨郡多良木荘に左遷された。その後、人吉荘の地頭を務め、多良木荘を上相良氏、人吉荘を下相良氏が領した。戦国時代末期には豊臣秀吉に属して所領を安堵された。関ヶ原の戦いでは西軍に属したが、後に東軍に寝返った。江戸時代には人吉藩主として、鎌倉時代から700年以上同一地域を領した珍しい例。【戦国大名「御家」系譜事典 宝島社 監修:森岡浩】

# 相良(さがら)の地名は、坂の下の原野をあらわす、「さかはら」から転じた自然地名。【地名でわかるオモシロ日本史 武光誠 角川ソフィア文庫】

# 熊本県の相良家: 人吉藩主藤原南家の出で、遠江国佐野郡相良荘(静岡県牧之原市)をルーツとする。源頼朝に仕え、肥後国に領地を賜り、肥後国南部に勢力を張った。明治維新後には子爵

・ 人吉藩主。戦国大名の相良氏の末裔。藤原南家の出で、周頼が遠江国佐野郡相良荘(静岡県牧之原市)に住んで相良氏を称したのが祖。戦国時代、義陽は大隅国にまで勢力を広げた一方、織田氏・毛利氏とも通じ、海外貿易を行うなど最盛期を迎えたが、1581年に水俣で島津義久に敗れ、支配地は球磨1郡に戻った。その子の長毎(ながつね)は豊臣秀吉の九州征伐の際に、島津軍の先鋒となって豊後に兵を進めたものの降伏して本領安堵。関ヶ原の合戦では西軍に属して大垣城に籠城したが、東軍に内応して江戸時代には引き続き人吉で2万2100石を領した。明治時代には子爵。【出典

# 人吉藩

# 国衆(国人)

# 「相良」の地名


【相良の名字の雑学】

# 相良直美: 年配の人なら知っているかなぁ。昔、「相良直美」という歌手がいました。なぜ、この名前が出てくるかというと、現在「相良」の名字を纏めているので思い出したということ。一応本名かと調べたら、旧姓は「山口 納堡子」と言って「相良直美」は芸名だったようですが、現在は芸名に合わせて「佐良直美」に改名したらしく、名字と名前を変えたというのは珍しい。「世界は二人のために」とか「いいじゃないの幸せならば」なんて懐かしいよなぁ。

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