「阿井・安威」の名字の由来
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■ 阿井(あい)

【2021/04/16:改編】

# 全国7000位台。静岡県の志太地区に多く、近江国の浅井氏の一族。「あい」と読む名字で一番多い。岡山県津山市の旧久米町にまとまってみられる「阿井」は岡山県久米郡美咲町の地名由来か?大阪府北部の「阿井」は大阪府茨木市安威(あい)をルーツとする。【出典

# 静岡県の志太地区にもっとも多く見られる。もとは近江国の浅井氏の一族だったが、のちに今川氏に仕えて駿河国前島村(静岡県藤枝市)に転じ、今川義元の命で阿井氏に改姓した。静岡県のほか、岡山県久米郡久米町、茨城県南部、千葉県長生郡、大阪府北部などにみられる。このうち、岡山県の久米町の阿井氏は中世からその名が知られる。【出典

# 阿井の地名: 島根県仁多郡奥出雲町上阿井、島根県仁多郡奥出雲町下阿井、島根県仁多郡奥出雲町下阿井小阿井、徳島県那賀郡那賀町阿井。

# 阿井(あい): 岡山県久米郡美咲町大垪和(ハガ)東阿井

# 安威(あい): 大阪府茨木市安威

・ 旧摂津国。阿為・安井・藍・阿威・阿井とも書く。安威川上流右岸,茨木(いばらき)川中流左岸に位置する。地名は,「和名抄」の安威郷にちなむという。【出典

# 名字の読みで一番最初に出てくるものの一つ。

# 「井」のつく名字

■ 安威(あい、やすい) 

【2021/04/02:新載】

# 摂津国島下郡安威荘(大阪府茨木市)をルーツとする。室町時代初期の幕府の奉行人に、安威氏の名が見える。また、室町時代の末期に安威城を築いて細川氏に仕えた弥四郎という人物もいる。その後、豊臣秀吉のこの地方の代官に安威守佐がいるなど、代々安威荘に勢力をもった。現在は、大阪府北部と京都市付近に若干しか見られず、読み方も「やすい」と読むこともある。【出典

# 安威(あい): 大阪府茨木市安威。阿為(延喜式神名帳)・安井(玉葉)・藍(皆川文書)・阿威(元亨釈書)・阿井(摂陽群談)とも書く。安威川上流右岸、茨木(いばらき)川中流左岸に位置する。地名は、「和名抄」の安威郷にちなむという。地内北部の山地に古墳群が、南部には藤原鎌足の墓といわれる将軍塚古墳や将軍山古墳がある。【出典

# 安威郷: 奈良期〜平安期に見える郷名。「和名抄」摂津国島下郡四郷の1つ。「和名抄」の訓は「阿井」。「日本書紀雄略天皇9年条に、罪を犯した凡河内直香賜を討つために同天皇は、弓削連豊穂を遣わして「三嶋郡の藍原にして、執へて斬りつ」とある。当地は「新撰姓氏録」摂津国神別に「中臣藍連 同神(天児屋根命)十二世孫大江臣之後也」とある中臣氏系の藍氏が本貫としたところである。なお「多武峰略記」によれば、大織冠鎌足の長男、僧定慧は天武期に唐より帰朝し、鎌足の墓所の所在を問うたところ、摂津国島下郡阿威山と聞き、当地の墓所に赴いたという。「地名辞書」にも阿威山墓は、藤原鎌足の旧墳とある。また「日本書紀」継体天皇25年条に、同天皇を「藍野陵に葬りまつる」とある。なお継体天皇陵は「古事記」では「三嶋の藍の御陵」、「延喜式」諸陵寮では「三嶋藍野陵」として見え、所在地は「摂津国嶋上郡」とある。そのほか郷内には、「延喜式」神名帳に「嶋下郡十七座」のうちとして見える「阿為神社」「幣久良神社」「太田神社」がある。古代の郷域は、現在の茨木(いばらき)市の太田・耳原(みのはら)・福井・安威・桑原・大門寺・生保(しようぼ)・大岩・安元・車作・忍頂寺などの一帯と推定される。【出典

# 国衆

# 「安」のつく名字

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