「服部」の名字の由来
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■ 服部(はっとり)

【2021/12/25:改編】

# 134位

# 桓武平氏、古代の服部伴造の子孫が主流のほか、様々な流派がみられる。

# 146位【知っておきたい家紋と名字 別冊宝島】

# 服部氏: 矢筈紋。伊賀国服部郷をルーツとする。平家物語では桓武平氏の出とあるが、楠木氏や秦氏の支流という説もある。【あなたの起源を読み解く 名字の世界 インデックス編集部 イースト新書Q】

# 伊賀国阿拝郡服部郷(三重県伊賀市)に由来する。平家物語では、桓武平氏流とされているが、楠木氏秦氏の支流という説もあるそうです。阿波の服部氏も伊賀服部氏の末裔

# 古代の職業の、「服織部(はたおりべ)」をルーツとする。

# 古代、機織りを司った服織部(はたおりべ)にちなむ職業姓。文字からは真ん中の「織」が抜けて、発音上は最後の「べ」が抜けて、「はたおりべ」→「はたおり」→「はっとり」となった。【出典

# 歴史的には服部半蔵が有名で、今でも皇居の西側の半蔵門にその名を残す。作曲家の服部良一は大阪府大阪市の出身。作曲家の服部公一は山形県山形市の出身。プロゴルフの服部道子は愛知県日進市の出身。

# 長野県の服部家: 麻績の服部家は承久の乱後に地頭として下総国から転じたという。【出典

# 愛知県の服部家: 尾張国海西郡荷之上村(愛知県弥富市)の豪農で、もとは同地の武士で天正4年(1576年)に帰農した。

# 伊賀国阿拝郡の国人。阿拝郡服部郷(三重県伊賀市)をルーツとする。平家物語に平知盛の乳兄弟として登場する平家長を祖とすると伝えるが、諸説あって不詳。鎌倉時代には幕府の御家人となり、以後、庶子家を分出して阿拝郡・山田郡に勢力を広げたとみられる。室町時代には有力国人に成長し、保長は足利義晴に仕えた。戦国時代に、三河国に転じて松平氏に仕えたらしく、子の半蔵正成は徳川家康に仕えて遠江国で8000石を知行した。その子の正就は1604年に歓気を受け、1615年に大坂の陣で討ち死にして嫡流は滅亡したが、一族は伊賀衆とよばれる旗本となって、多くの分家が出た。【出典

# 信濃国筑摩郡麻績(長野県東筑摩郡麻績村)の国人。承久の乱以降に新補地頭として下総国から来国したとみられる。戦国時代には麻績城に拠って麻績服部氏とも称し、青柳氏に従った。なお、麻績の青柳氏も麻績氏と称していたことから、混同されやすい。武田氏の滅亡後、麻績に侵攻してきた上杉氏によって滅ぼされた。【出典

【苗字の歴史 豊田武 吉川弘文館】

# 服部(はとりべ): 織物を献納した農民。

・ 伊賀の服部氏は、伊賀国阿拝郡服部郷を本拠とし、服部の地名は、他に大和国山辺郡・摂津国島上郡・美濃国安八郡・近江国野洲郡・伊勢国奄芸郡・三河国八名郡・遠江国長上郡・越前国今立郡などにみられる。

# 服部(はっとり): 古代の朝廷に仕えて、衣服を作製した人たちを「服部」といった。「はっとり」の語源は「機織(はたおり)部」である。麻糸をつくるのは「麻績部(おみべ)」、布を衣服に仕立てた人たちは「衣縫(きぬぬい)部」。【地名でわかるオモシロ日本史 武光誠 角川ソフィア文庫】

# 国衆(国人)

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