「長野」の名字の由来 | |
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■ 長野(ながの、ちょうの)
【2021/02/03:改編】
# 401位
# 代表家紋
# 在原氏、桓武平氏、藤原南家_工藤氏流、藤原北家利仁流などにみられる。
# 地名由来の名字で各地にみられるが、愛媛県と九州地方に多くみられる。
# 佐賀県東部では「ちょうの」読み。【名字でわかるあなたのルーツ 森岡浩 小学館】
# 主なルーツ地
・ 上野国群馬郡長野郷(群馬県高崎市)をルーツとする。
・ 武蔵国埼玉郡長野(埼玉県行田市長野)をルーツとする。
・ 伊勢国安濃郡長野(三重県津市美里町)をルーツとする。
・ 豊前国企救郡長野荘(福岡県北九州市小倉南区長野)をルーツとする。
・ 加賀国長野保(石川県能美市)をルーツとする。
・ 肥後国山鹿郡永野(熊本県)をルーツとする。
# 上野国群馬郡長野郷(群馬県高崎市)をルーツとする長野氏は在原氏の一族。
# 武蔵の長野氏は武蔵国埼玉郡長野(埼玉県行田市長野)をルーツとし桓武平氏の畠山氏の一族。
# 伊勢の長野氏は伊勢国安濃郡長野(三重県津市美里町)をルーツとし藤原南家の工藤氏の一族。
# 豊前の長野氏は豊前国企救郡長野荘(福岡県北九州市小倉南区長野)をルーツとする。
# 加賀の長野氏は加賀国長野保(石川県能美市)をルーツとし、加賀斎藤氏の支流。
# 肥後の長野氏は肥後国山鹿郡永野(熊本県)をルーツとし、菊池氏の支流。
# 群馬県の長野家: 上野国群馬郡長野郷(群馬県高崎市)をルーツとする長野氏は在原氏を称する。上野業政は上野国の西部を制した。業政の死後、武田信玄に攻められて滅亡した。江戸時代の彦根藩の家老の長野家は同族。
# 埼玉県の長野家: 武蔵国埼玉郡長野(埼玉県行田市長野)をルーツとし、桓武平氏の畠山氏の一族。
# 滋賀県の長野家: 彦根藩の家老。上野国の戦国大名の長野氏の一族で、箕輪城主の長野業正の子の業親が祖。天正8年(1580年)に業親が箕輪で井伊直政に仕えて後に家老となった。
・ 彦根藩の家老。上野国の長野氏の一族で、箕輪城主の長野業正の子の業親が祖という。1580年に業親が箕輪で井伊直政に仕えて小姓となり、以後累進して大坂の陣後に家老となった。1627年3000石となり、以後代々家老を務めた。家禄は4000石。【出典】
# 福岡県の長野家: 豊前国長野荘(福岡県北九州市)をルーツとする。平安時代に国司として豊前国に下向したが、戦国時代に毛利家に敗れて衰退した。【出典】
# 元フジテレビの長野翼は愛媛県の出身。フリーアナウンサーの長野美郷は愛知県みよし市の出身。プロ野球の長野(ちょうの)久義は佐賀県の出身。フリーアナウンサーの長野智子はアメリカの出身。
# 長野家
・ 上野国の戦国大名。石上氏の末裔の可能性が高いといわれる。平安時代末期から上野国群馬郡長野郷(群馬県高崎市)を本拠とした在庁官人。【出典】
【苗字の謎が面白いほどわかる本 丹羽基二】より
# 長野と永野は通用される。
# その他、伊勢の村上源氏の北畠氏族、筑前の倭漢氏族の大蔵氏流、尾張の藤原氏などがある。
# 永野は肥後国山鹿郡永野村をルーツとし、菊池氏族。
# 関連姓氏: 中賀野、永之、永埜、長埜、長濃、長能。
# 長野家
# 国衆(国人)
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