「安藤」の名字の由来 | |
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■ 安藤(あんどう)
【2023/05/19:改編】
# 68位
# 第68位 約24万人【明治安田生命ランキング2008】
# 第70位 約24万人【明治安田生命ランキング2013】
# 第70位 約24万人【明治安田生命ランキング2018】
# 代表家紋
# 「安芸に住んだ藤原氏」に由来する。
# 安藤の名字の起こりは安部朝臣が鳥羽院より藤原姓を賜り、旧姓と合わせて安藤の名字にしたとも。安芸国の守護になった藤原氏が国名の安と藤原の藤を取ったとも言われる。【出典】
# 安藤(あんどう): 美濃国の国人。藤原北家秀郷流という。斎藤氏を経て織田信長に仕えたが、武田氏への内通を疑われて追放された。【出典】
# 関連姓氏: 安堂、安道、安遠。
# 鎌倉時代に北条氏から蝦夷の管領を任されていた安藤(安東)氏は十三湖の北にあった福島城を居城とした。戦国時代の東北地方の大名で生粋の東北地方出身は秋田の安東氏(後の秋田氏)だけで安東氏は安倍貞任の子孫といわれる。
# 安部氏の一族が藤原姓を賜って「安部」と「藤原」を組み合わせたという説もある。
# 安藤氏は南部氏に追われ、本拠地を十三湊から秋田に移したが、関ヶ原合戦後、常陸の佐竹氏が秋田に移されたのと同時に、常陸国宍戸に移り、後に三春に移った。
# 美濃国池田郡の国衆。稲葉一鉄、氏家卜全とともに西美濃三人衆と呼ばれ、北方城(岐阜県本巣市北方町)に拠った。安東氏ともいう。藤原北家秀郷流の伊賀氏の末裔という。守就が土岐頼芸に仕えて安藤氏を称し、斎藤道三が台頭すると斎藤氏に従った。永禄10年(1567年)に織田信長に従ったが、天正8年(1580年)に武田氏へを内通を疑われて追放され、武儀谷口(岐阜県関市)に蟄居した。本能寺の変後、北方城の奪還を目指したが、稲葉一鉄に敗れて自害して滅亡した。甥の可氏は山内一豊に仕えて伊賀氏に改称して、のちに土佐藩の家老になった。【出典】
# 福島県の安藤家
# 群馬県の安藤家
# 東京都の安藤家
# 富山県の安藤家
# 山梨県の安藤家
# 静岡県の安藤家
# 和歌山県の安藤家
# 建築家の安藤忠雄は大阪府大阪市出身。キャスターの安藤(旧姓)優子は千葉県市川市出身。フィギアスケートの安藤美姫は愛知県名古屋市出身。
# 安藤百福: 日清食品の創始者でインスタントラーメンを開発した。安藤百福は死ぬまで毎日チキンラーメンを食べていたが、それでも97歳まで生きた。あさま山荘事件でカップヌードルを警察に半額で提供し、それがきっかけで売り上げを伸ばしたそうだ。
【一個人 2013年12月号】
# 安藤(71位)
・ 岐阜県に多くみられる。
・ 三河国の安藤氏は徳川氏に従って江戸時代には紀州藩の付家老。
【知って楽しい「苗字」のウンチク 丹羽基二 PHP文庫】
# 安藤
・ 「安倍」+「藤原」で「安藤」となった。当初は安東だったが、藤原氏との婚姻を重ね「安藤」となったという。
・ 豊後国の安藤氏は藤原北家秀郷流、三河国安藤氏は清和源氏の武田氏族。
■ 安東(あんどう)
【安藤の雑学】
# 安藤守就: 美濃三人衆の一人。
# 「安」のつく名字。
# 「藤」のつく名字。
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