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■ 磐井の乱(いわいのらん): 527年(継体天皇21年)に朝鮮半島南部へ出兵しようとした近江毛野率いる大和朝廷軍の進軍を筑紫君磐井がはばみ、翌528年(継体天皇22年)11月、物部麁鹿火によって鎮圧された反乱、または王権間の戦争。【Wikipediaより】
■ 応仁の乱(おうにんのらん): 室町時代中期の応仁元年(1467年)に発生して、約10年間続いた騒乱。そのため「応仁の乱」という。発端は、室町幕府の管領の畠山氏と斯波氏の家督争いで、のちに細川勝元と山名宗全といった二大守護大名が対立して、幕府を東西南北にわけた戦いになった。
■ 大坂の陣(おおさかのじん): 江戸時代初期に江戸幕府と豊臣家によって行われた戦いで、1614年の大坂冬の陣と、1615年の大坂夏の陣からなる。これによって豊臣家は滅亡した。
■ 小田原攻め(おだわらぜめ・小田原征伐・小田原の戦い): 1590年に、関白豊臣秀吉が、相模国小田原(神奈川県小田原市)の北条家(後北条氏)を攻めて降した戦い。この戦いの後、徳川家康は東海地方から関東地方(北条家の旧領国)に転封させられた。
■ 元慶の乱(がんぎょうのらん): 平安時代(元慶年間)におきた蝦夷の反乱で出羽国の夷狄(いてき)が秋田城を襲った。
■ 元寇(げんこう)・文永の役(ぶんえいのえき)・弘安の役(こうあんのえき): 鎌倉時代中期の元寇(げんこう)のうちの最初の戦いを文永の役、2回目を弘安の役(こうあんのえき)という。元寇自体は、モンゴル帝国(元朝)と、高麗が行った日本への侵攻の総称。
■ 源平の合戦(げんぺいのかっせん): 治承・寿永の乱(じしょう・じゅえいのらん)とも言われ、平安時代末期に、源氏と平家の間で行われた戦い。平清盛を中心とした伊勢平氏(平家)と源頼朝を中心とした源氏・関東平氏の間で行われた。
■ 壬申の乱(じんしんのらん): 天武天皇元年6月24日 - 7月23日に起こった古代日本最大の内乱である。天智天皇の太子・大友皇子に対し、皇弟・大海人皇子(後の天武天皇)が兵を挙げて勃発した。反乱者である大海人皇子が勝利するという、日本では例を見ない内乱であった。名称の由来は、天武天皇元年が干支で壬申(じんしん、みずのえさる)にあたることによる。【Wikipediaより】
■ 大化の改新・一巳の乱・乙巳の変(いっしのへん): 飛鳥時代の645年に中大兄皇子・中臣鎌足らが蘇我入鹿を宮中にて暗殺して蘇我氏(蘇我宗家)を滅ぼした政変である。その後、中大兄皇子は体制を刷新して大化の改新と呼ばれる改革を断行した。蘇我入鹿が殺害された事件を「大化の改新」と言う場合もあるが、厳密には政変「乙巳の変」に始まる一連の政治制度改革が「大化の改新」であり、「乙巳の変」は「大化の改新」の第一段階である。【Wikipediaより】
■ 鳥羽・伏見の戦い(とばふしみのたたかい): 1868年1月27日から30日まで行われた戦いで、幕末の戊辰戦争の初戦となった。京の南の上鳥羽や伏見で行われたので、鳥羽・伏見の戦いという。
■ 保元の乱(ほうげんのらん): 保元元年(1156年)7月に、皇位継承問題や摂関家の内紛により、朝廷が後白河天皇方と崇徳上皇方に分かれて衝突した政変。 崇徳上皇方が敗北し、上皇は讃岐国に配流された。
■ 承久の乱(しょうきゅうのらん): 承久三年(1221年)に、後鳥羽上皇とその近臣たちが鎌倉幕府打倒のために挙兵したが、大敗して鎮圧された。
■ 平治の乱(へいじのらん): 保元の乱の後の、平治元年(1160年)12月に、後白河法皇をめぐって藤原通憲と藤原信頼が反目し、藤原通憲は平清盛と、藤原信頼は源義朝と組んで対立した。信頼らは清盛の熊野参詣中に挙兵し、法皇を幽閉して通憲を殺した。しかし帰京した清盛に敗れ、信頼は斬罪、義朝は尾張国で殺された。義朝の子頼朝も伊豆に流され源氏は一時衰退し平家全盛のきっかけとなった。
■ 正中の変(しょうちゅうのへん): 正中元年(1324年)に、後醍醐天皇とその腹心の日野資朝・日野俊基が、鎌倉幕府に対して討幕を計画した事件。【Wikipediaより】
■ 戊辰戦争(ぼしんせんそう): 幕末の1868年から1869年に行われた戦いで、新政府軍と旧幕府軍・奥羽越列藩同盟・蝦夷共和国の間で行われた。戦いの始まった慶応4年(明治元年)が干支の「戊辰」であることに由来する。
■ 本能寺の変(ほんのうじのへん): 天正10年6月2日(1582年6月21日)早朝、京都本能寺に滞在中の織田信長を家臣の明智光秀が突如謀反を起こして襲撃した事件である。【Wikipediaより】
■ 関ヶ原の戦い(せきがはらのたたかい): 安土桃山時代の慶長5年9月15日(1600年10月21日)に、美濃国不破郡関ヶ原(岐阜県不破郡関ケ原町)を主戦場として行われた野戦。関ヶ原における決戦を中心に日本の全国各地で戦闘が行われ、関ヶ原の合戦・関ヶ原合戦とも呼ばれる。【Wikipediaより】
# 勝利した東軍の総大将は徳川家康ですが、敗退した西軍の総大将は石田三成ではなく毛利輝元。
■ 加藤の乱(笑): 加藤の乱(かとうのらん)は、2000年11月に第2次森内閣打倒を目指して、与党・自由民主党の加藤紘一・山崎拓らが起こした、一連の倒閣運動。【Wikipediaより】
【参考資料】